ベイダー卿の暗示


 “Luke! That is your DESTINIEEE...”  これは映画スターウォーズの主人公ルーク・スカイウォーカーに対し、宿敵であり実父でもあるダース・ベイダー卿が言い放った台詞です。 “DESTINY”とは「運命」のこと、「縁」も英訳すれば同じ言葉になりましょうか。 ベイダーはこの台詞で、主人公が実は宿敵の血をひいているということを暗示したわけです。 「お前は闇の世界に服従する運命にある」とか「お前のオトッツァンはワシだから逆らえんぞ」とか言いたかったのでしょう。
 「運命」とは何ぞや、「縁」とは何ぞや。 音楽フリーターをしていた頃、意外な人物が意外な人物の知り合いで驚くというようなことがよくありました。 が、これは縁というよりも、狭い業界の相関関係と考えた方が正しいでしょうね。 では、初めて会ったのに初めて会った気がしないという人がいたりしますが、これって何かの因縁でしょうか。 案外、単に血筋が近いとか、ほら、大陸のモンゴロイドを見ると妙に親近感を持つ、あれかも知れません。 或いはやっぱり、仏法輪廻の理(ことわり)か何かで引き合う魂のインスピレーションとか... よくは分かりませんが、確かにありますね、そういう感覚。
 「運命」によく似た言葉に「寿命」というのがありますね。 この言葉を耳にすると落語を連想します。 僕は古典落語の何十分の一も知りませんが、たまたま聞いたことのある噺には可成りの割合で「死」に関するエピソードが含まれています。 死んだ男にカンカン能を踊らせる「らくだ」、売れなくなった花魁が適当な客を道連れにと企む「品川心中」、陽気な地獄道中をする「地獄百景」などの「死」をテーマとした噺はもちろんですが、「七度狐」、「不動坊」、「宗徳院」などのように「死」が一種の脇役として登場する噺も少なくありません。 古典落語が「死」と向き合っていたと言うよりは、「死」を架空化して人々を楽しませていたと捕らえるべきでしょうか。 或いは、桂枝雀さんがよく口にされるように、笑いは緊張の緩和から生まれるという側面があるとすれば、「死」は緊張の題材として持ってこいなのかも知れません。
 おっと、話が少し膨らみすぎましたが、その落語の枕に用いられる医者小咄の中には、「土手医者」、「スズメ医者」、「葛根糖医者」、「手遅れ医者」、などと肩を並べて「御寿命医者」というのが登場します。 病が重い場合は何でもかんでも「御寿命でございます」と告げる。 ダメだったときは「寿命だから仕方がない」と諦めてもらえるし、ひょっと間違って治りでもしたら「名医だ!」とばかりイヤ増して名が上がるというワケです。 「寿命」、「運命」、「縁」などの言葉には、無条件に人を納得させる力があるのですね。
 実際、寿命なんてものがあるのかというと、あるのだそうですよこれが。 地球上に生命が誕生して38億年ともそれ以上とも言われていますが、黎明期の単細胞生物(僕のような奴ですね)にとっては、酸素なぞ稀少かつ猛毒のガスで、硫化水素だとかそういう不味そうなものを口にしつつ、雌雄なぞなく、人生のこれといった展望も持たず、しかし一方では地球規模の壮大な運命を背負って彷徨っていたと推察されています。 そもそもこの時点に於いて、寿命というものは無かったようです。 言い換えれば、老化しなかった。 そんなものなくても、激しい気象変化や生物間の捕食関係で確率的に命を落としていたと考えられるし、何処が尻やら頭やらといった輩は餌食となりつつも残飯状態から蘇生して半永久的に生き残っておったでしょう。 現在でも、珊瑚、メタセコイア、名も知らぬ砂漠の雑草など、寿命を持たない生命体は多数存在するそうです。
 しかし、神は多くの種に寿命をお与えになった。 それは、種に雌雄が発生したときに始まります。 まるでアダムとイブのお話ですね。 雌雄のある生物には、ライフサイクルが与えられました。 昼夜、潮の満ち干、四季の移り変わりなど天体の動きに呼応した周期で、アダム達やイブ達は計画的に生きることを始めたのです。 そして彼等には、老いることが義務づけられました。 どんなに丈夫な者も美しい者も必ず老い、どんなに恵まれた者も運の良い者も程なく死すよう命じられたのです。 具体的には、既に遺伝子の段階でその個体の寿命がインプットされているのだそうです。
 だから、仕方がない、寿命なわけで運命なわけです。 ところが、神との制約かどうか定かでない事象についても、我々は運命を語り、縁(えにし)の妙を想うことがあります。 それは、初めて見つけた花に名前を付ける認識のような作業でしょうか。 いや、むしろ逆で、定義付けによる忘却の作業ではないか考えます。 人間ってそういうところありますよね、説明できないこと、不可思議なこと、認識できないことに敢えて言葉を充てて良しとする。 彼女と二人で夕焼けを見て、「綺麗だね」と口にした瞬間には夕焼けのことなんか忘れているのです。 そのえもいえぬ光景から受ける感動を「綺麗」という言葉で片付けて、お兄さんは次のステップに進みたいわけです。 「なんであの人あんなこと言うのかしら」と聞かれて「馬鹿だからだよ」と答える。 不可思議なあいつの言動を「馬鹿」という言葉で整理できたので、もうそのことについて論ずるのは止めましょうという意味です。 そして考えるのを止めてしまう、いや考えたくないからこそ言葉を充てておく、「運命」や「縁」は、殆どの場合そういう使われ方をする言葉ではないでしょうか。

 さてさて、僕は縁あって日比谷に出向くことがあります。 鹿鳴館跡地という由緒ある土地に建てられたビジネスビルの上階に御座するビッグカスタマーを訪れるのです。 この前もその用があり、難産した資料をバッグに入れて、春の日の差す乗客疎らな田園都市線の各駅停車に乗り込みました。 席に座って何をするでもなく、考えるでもなく、かといってウタタネしたい欲求も湧かず、何気に向かいの窓の外なんぞ眺めていると、いきなり人の正面にヌボと立つ輩がいました。 びっくりして見上げると、面妖な出で立ち、よりにもよって赤紫に染めた髪、どこかのフーテン(古い言葉で申し訳ない)が絡んできたかと思ったら、僕を見て満面の笑みを浮かべている。 よく見ると、あれ、スティーブ衛藤だ。 もう10年も会っていないか、会おうとしても会えず、つい先日メールで「お互い縁が無いのだ」と書いてよこしたPUGSのパーカッショニストです。 普段は車を足にしているであろうこの男も、この日は福岡に飛ぶため空港へ向かう途中、偶然といえば大変な偶然でした。 昔なら普段から毒舌の応酬を怠らないこの旧友と、音楽活動の近況、亡くなった先代高橋竹山の話、来日したラヴィ・シャンカールやインド音楽のことなど、次々と話に華が咲いてあっという間に目的の駅に付いてしまいました。 流石に最後は、「お前なんかに会って飛行機大丈夫かな」と捨て台詞。  “Steve! This is your DESTINIEEE...

--- 20.Mar.1998 Naoki

追記》 今日は、三年前、あの忌まわしい地下鉄サリン事件のあった日です。
    ウチのカミサンも勤めの関係上、時間差で現場の近くを通りましたし
    僕も日比谷に向かっていたら被害者になっていた可能性があります。
    犠牲者のご冥福と、今も後遺症と戦っておられる方々の一日も早い
    ご全快を心よりお祈り申し上げます。


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