車内にて


 ずいぶん前のことです。 帰宅途中の終電でしたか、席に座ってウトウトしていると、隣に座ってきた奴が肩でギュウギュウ押してくるんです。 あんまり痛いからちょっと押し返して、またウトウトしておりますと、またまた押してきます。 どんな奴だろうと見ると、40代の紳士といった風体の男でした。 僕と目が合うと、なんとも冷静そうな口調でこういいました。 「喧嘩しましょうか」。
 「おい、てめぇ」とか「このやろう」とかじゃないんです。 静かな口調で「喧嘩しましょうか」、これにはぞっとしました。 「何だおまえは...」と無視をしてまたウトウトやっておりますと、暫くしてその男が立ち上がるのを感じました。 次の瞬間、男は僕の髪の毛を掴み、膝で蹴り上げ始めたのです。 こちらは体勢が悪く、膝を防ぐことはできても立ち上がることができません。 満員だったはずの客車に半径2mほどの空間ができ、「やめなさいよぉ!」というオバハンの叫び声が遠巻きに聞こえます。 僕は、髪の毛を掴まれて頭の痛いのを堪えながら、なんとか体を捩らせて座席から立ち上がりました。 さぁ、反撃だ!
 ところがそのとき、「観客」の中から、アンチャン風のサラリーマンが一人出てきました。 「何やってんだよ、みんなが迷惑してるじゃないか」。 おいおい、やっと反撃に転じようってとこなのに、仲裁かよ。 アンチャンは、手出しをしようとする僕に「いいから向こう行ってろ」と諭します。 仕方ないここは引き下がるかと席に戻ろうとすると、なんとこの機に乗じてその席に座ろうとしている「観客」がいる。 思いっきり睨んだら、そそと引き下がりました。 あぁ、世も末じゃ。 終列車は病んでいる! 例の男は次の駅で降りました。
 憤懣やり方ない状態でしたが、ともかく目的の駅でまで行き、気持ちを静めようと喫茶店に入って一服することにしました。 あんなへなちょこキックじゃ怪我なんかないやと思いつつ、しかし髪の毛を掴まれていたアタリがジンジンしています。 血糊でも付いてたら傍目が悪かろうとトイレの鏡で確認すると、ほら何ともなってない... やれやれと髪を掻き上げると、あらまぁ、毛が一掴み抜けてしまったのであります! それからしばらくの間、禿ができていました。 僕はこれを「世紀末禿」と名付け、時折鏡で眺めては感慨に耽ったものです。
 そのころは、この手の車内トラブルが次々に起こりました。 きっと僕の目つきが悪くて、その手の輩を挑発してしまうのだろうと考えたこともあります。 しかし、自動車を使うようになってからも、似たようなトラブルが幾つかありました。 トラック野郎に殴られた向こう傷は今でも残っています。 類は類を呼ぶ、そういう傾向があったように思います。
 最近では、IQではなく、EQという賢さの物差しがあるようです。 他人に本を貸してしまったので正確なことは言えませんが、なんでも自分の感情を制御し、うまく対人関係を持ち、前向きな努力を続けて成功することのできる能力を判定するものだそうです。 かなり贔屓目に見ても、自分のIQは中の上くらいだと思いますが、EQは下の中であろうと思います。 ですから、ここ数年来努力して、今ではけっこう丸い人間になれたんじゃないかと思っています。
 しかし、つい数日前、やっぱり電車の乗り降りのトラブルで、トレンチコートのオッサンを蹴り上げてしまいました。 そんな馬鹿なと思われるでしょうが、勝手に足が蹴ったんです。 大脳皮質はま〜るい人間だったんですが、足がオッサンを許さなかったんです。 本当です。 心の中に「あっ!」という感嘆符が明滅したほどです。 幸い乱闘には至りませんでしたが、自己嫌悪を感じました。 ですから、その日別の列車で酔っぱらいの太ったオッサンが自分の足の上に乗り込んできたときは、へらへらしておりました。 お陰で足の親指に血豆ができました。
 昨年の暮れだったか、朝日新聞の天声人語に、車内で席を取り損ねた若造がご婦人に「死ねババァ」の罵声を浴びせていたという話が載って物議を醸したことがあります。 実はそのババァ、うちの母親なのです。 彼女は、後に週刊朝日による追跡取材の中で、その手の罵声には息子のお陰で免疫ができているというようなことを言っています。 自分がもしその若造と五十歩百歩であるとしたら、こんな恥ずべきことはありません。
 僕には、「ついムカッとして」といった衝動的な感情だけでなく、猜疑心や嫉妬心といったクネクネ考え回すような事例に於いてもセルフコントロールが効かなくなる傾向があります。 自分のこういった側面は、「分かっちゃいるのにヤメラレナイ」というスーダラ節状態とは違って、常に葛藤と苦悶を伴っています。 例えば、恋人が敢えて伏せていたり虚偽の内容を伝えているときでも、それを寛容に受け止めながら自分が今採るべき行動は何かを冷静に判断し実行できる人はいると思います。 人の生き死にの壮大さに比べれば、そういった事柄というものは採るに足りないものの中でも特に採るに足りないものに属していることは分かっています。 ましてそれが悪意ではなく善意から出たものであるとすれば、自分の採るべき行動は明白です。 ところが僕の場合、頭ではそれが分かるのですが、体中にアドレナリンが充満して鼓動が早くなり喉が渇き食欲がなくなるという傾向があります。
 心身一体という言葉がありますが、大脳皮質と小脳、中脳、延髄などには分かちがたい関係があるように思われます。 トレンチコート男をつい蹴ってしまったことを考えると、足のせいだと言う前に、やはり末梢神経に至るまで「自分」なのだということを引き受けなくてはなりません。 心が磨かれた人は、必ず態度に出ます。 そして表情に出ます。 我々は、心を磨くことができる可能性と、若干の猶予時間を有しています。
--- 2.Apr.1997 Naoki


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