仮想現実と横浜


 DOOMとかQUAKEとか知ってます? 3Dシューティングゲームです。 ネット対戦ができるので、LANを使っているときは、ときどき参加させてもらってます。 飛び道具をぶっぱなして敵を倒していくゲームで、血や肉片が飛び散ります。 サウンドもリアルで、けっこうドキドキハラハラします。 それでも「ゲームだから」とか「コンピュータの中の出来事だから」という割り切りで、笑いながら人殺しをやるわけです。 「死ね!」とか「なんだ、もう殺されちゃったよ」なんて言葉が口をつきます。
 同様のことが、雑誌やTVの中でも繰り返されています。 人気絶頂のドラゴンボールなどに代表されるTVアニメは、話の筋立てはともかく、その殺伐とした格闘シーンに醍醐味があるようです。 怒りとか、憎悪とか、復讐心とか、そして何より敵を木っ端微塵にする痛快感などを、オトナから青少年、幼児までもが堪能しています。 これまた「マンガ」だからとか「ドラマだから」とか「TVの中の出来事だから」で片付けています。
 TVの中の出来事と言えば、数年前クエートに侵攻したイラクを米軍が空爆している風景もまた「TVの中」でした。 もし、某国のノドンとかなんとかいう核ミサイルが他の某国のどこかを壊滅しても、直接被害をうけなかった人達の多くが意識の上で「TVの中」にその事実を封印するのではないでしょうか。 情報の過多と共に、現実と仮想の領域があやふやになってきています。 しかし現実は、なんらかのかたちで遅かれ早かれ身の回りにやってくるでしょう。
 戦争に関することをTVが取り扱うことは、原則的に極めて大切なことです。 戦意昂揚のプロパガンダとしてではなく、破壊された家や、処刑される兵士や、痩せ衰えて餓死した男や、幼児を抱いたまま息絶えている婦人や、死体の山を整理するブルドーザーを放映することは重要です。 米国ですら、多くの市民がベトナム反戦に立ち上がったのも、言ってみれば戦争がTVで見られるようになったからでしょう。 かといって、仮想現実が戦争を容認してしまっていることは危険なことかも知れません。 なぜなら、TVは、仮想を現実的に見せることができるだけでなく、現実を仮想的に見せてもしまうからです。 戦争の悲惨な場面を初めて見せつけられた人々と、普段からそれに馴らされてしまっている人々では、ピンときかたが違うんじゃないだろうかと思います。
 事実、スプラッタームービーが大嫌いな自分でさえ、DOOMやQUAKEには慣れてきました。 麻痺してきたと言うべきかも知れません。 ドラゴンボールやストリートファイターを見続けている子供や、ロッキーや必殺仕事人に親しんできたオトナもまた、ある種の麻痺を生じているでしょう。 僕は、高橋英樹さんの「ぶらり信兵衛道場破り」という番組が好きでした。 絶対に人を斬らない時代劇です。 いつも竹ミツを腰に下げてて、本当は強いんだけど、喧嘩になると逃げちゃうんですな。 しかし、金に困ると道場破りに出かける、そこが唯一のチャンバラシーンになるわけです。 ところが、それじゃものたりないということでしょうか、すぐに「桃太郎侍」に代わってしまいました。 TVの中は派手じゃなくっちゃね、時代劇なんだから。 でも、暴力シーンを虚実のものとして意識的に整理できる人達にはなんら問題とならんのでしょうが、子供達なんかには如何なもんでしょう。
 大学時代の友人の、ま、言って見れば笑い話なのですが、そこのお兄さんはSMファンだったのだそうです。 ですから、物心付いた頃から身近にSMの雑誌があったそうで、見てたんですね子供の頃からその手の写真を。 すると、なんとなくそれが当たり前のこととして身に付いちゃったわけです。 ですから、ファーストキスのときに何の躊躇いもなく女の子を縛り上げてしまったそうですよ。 女の子も、初めてでよくわからないからされるがままだったんですな。 なんとコメントしていいか...
 僕が子供だった頃は、鉄人28号や鉄腕アトムなんかがヒーローでした。 エイトマンというのもありましたが、エネルギーを煙草で補給するせいか、とんと再放送されません。 いずれにせよ、まだ勧善懲悪的発想のマンガが多かったですね。 それらもまた単純人間を作り出してしまいそうで、一概に誉められたもんではないかもしれません。 しかし、最近のある種のアニメよりもアクションシーン以外にディテールがあったし、メッセージがあったように思いますね。 戦いの時どう肉片が飛び散ったかではなく、単純にせよ何故戦うのかに重きを置いて描かれていました。 鉄腕アトムは、最後は人類を救うために「不本意ながら」ミサイルを抱いたまま太陽に突っ込んで行きました。 動機があった。 アトムはかなり葛藤したわけですが「ロボットは人間につくさなくてはいけない」という原則に立ち返ることを選択したんです。 子供にはそんな心のヒダまでわかるまいと思う方もおいででしょうが、子供なりゃこそ、そういう心のヒダを身をもって感じるんですわ。
 もちろん、昔のアニメの方が良かったとはいいませんけどね。 きめ細やかな心温まるTVアニメは今でも少なくありません。 しかし、TVアニメが原因とは言いませんが、昨今の若い衆の歪みはある種のTVアニメにも反映されているような気がします。 「いじめ」だなんだと話題になってますね。 「いじめられる側にも問題がある」なんて分析している人もいるようです。 でも、ハッキリ言って、TVで知る限りあれは「いじめ」ではなく「犯罪」だし、全面的に犯罪者に問題があると思いますよ。 無条件に、これといった動機もなく、閉塞感があるから、むしゃくしゃするから、面白いから、殴る、蹴る、嫌がらせをする、のけ者にするというのは、僕の知る限り僕の身の回りにはなかったことです。
 僕は、中学2年の時、奈良から横浜に転校して来ました。 同じ名字の番長がいて、どうも僕が目立つというので面白くなかった。 ちょっとしたイザコザがあって、「放課後体育館の裏へ来い」ということになったわけです。 番長は人望の厚い男で、手下は何人もいましたし、第一腕っ節も強かった。 僕は転校生で孤立してましたし、第一腕っ節なんてものはなかった。 でも、兎に角くやしかったので「やってやらぁ!」ってなことを(残念ながら関西弁で)啖呵切って受けちゃったわけです。 そりゃ、放課後が刻一刻と近づく間、生きた心地はしなかったですよ。 でも、なんとかして応戦しようと作戦を練りに練っていました。 すると、放課後になってから番長が来て、「いい度胸してるじゃねぇか。気に入ったよ、まぁそう粋がるな」と折れてくれたんです。 哀れに思えたんでしょうね。 そういった気配りもまた、番長たりえる条件だったのです。
 最近の若い衆はみんなナイフを持っているそうですが、当時は道具を使うことも御法度でした。 汚い手を使うと、たとえ勝利を得たとしても、その人望は失墜してリーダーの座を去らなければならなくなります。 我々にはリーダーがいました。 その後僕は生徒会長に祭り上げられましたが、あだ名はあくまで「ナンバー2」、もちろん番長が「ナンバー1」でした。 だからといって、ナンバー1になれなかった者が、なんら不服を覚えるものでもありませんでした。
 但し「裏番」というのがいて、これは怖くて誰もちょっかい出さなかったし、彼もまた「カタギ」には手を出しませんでした。 裏番は自分の立場をよくわきまえていました。
 みんな、ブルース・リーの映画が好きでしたね。 ヌンチャクの練習をして頭にタンコブをこさえてるような奴がザラにいました。 ブルース・リーの映画には、よく日本人が敵役として登場しますが、そんなの関係なかった。 何故日本人が敵役か、ということについてもあまり考えなかった。 横浜駅西口では朝鮮高校(通称)の連中とよくイザコザがありました。 大抵はやられちゃうんですけどね。 でも、何故彼らと戦うことになるのか、そもそも何故朝鮮高校たるものが横浜にあるのかさえ、全くもって考えませんでしたね。
 初めて横浜を案内してくれた「スイカ男」という友人は、先ず「港の見える丘公園」に僕を連れて行きました。 「何が見える?」と訊くので「港が見える」と答えると、やおら鉄柵を乗り越えて「付いて来い」と言います。 鉄柵の外の生け垣をかき分けると、公園のすぐ下にあるトタン屋根のスラム街が目に入りました。 「あそこが朝鮮人、あっちの方は中国人、こっちへ上がるとアメリカ海軍、これが横浜だ」。
--- 26.Jan.1997 Naoki


back index next