自転車

 自転車に乗れるようになったのは、 他の子に比べて遅かったように思います。 それだけに楽しかった。 中学生になると、 よく奈良から京都の南部までサイクリングしました。 当時はまだ砂利道でしたが、県境になるといきなり舗装道路に変わる。 京都府は潤沢だったのでしょうね。 なぜ京都かというと、ちょっと想いを寄せてる女の子がいたのですね。 会いに行くわけではないけれど、 彼女の住んでいるらしい町というのは目標にできたわけです。

 大学の付属中学だったため、 同級生は地元だけでなくいろんなところから来ていました。 一人大柄な女子がいて、入学当初は友達もいないらしく、 誰とも話さず彼女はずっと黙っていました。 僕は美人だと思ったのだけれど、 コンタクトがとれるような年齢ではなく、 いわゆる思春期に入ろうかという頃でしたから、 気にはなるけど話しかけられなかった。 その代わり、男子というのは何かしら意中の子の気を引こうとするもので、 僕もまた消しゴムの欠片を投げつけたり輪ゴムを飛ばしたりしていました。 それでも口を開かないで、彼女はじっと黙っていました。 業を煮やした僕は、もっと汚い手に出ました。 「あの子、男みたいやと思わへんか」と友達に話し、 「そやそや男や」、「ほんま(本当)は男なんとちがうか」 などと皆で寄ってたかって囃したてたのです。 今で言うとちょっとイジメに近いですかね。 するとその子も流石に堪りかねたとみえ、 やっとのことで口を利きました。

「うち女どす!」

 皆、唖然となりました。 想像とは違うハスキーな声で、 聞いたこともない京都弁の叫び。 「〜どす」という言い回しは、 京都でもお婆さんか、舞妓はんか、 さもなくば余程の田舎の出でないと使わない言葉でした。 その子は京都の田舎の小学校から一人付属小に来ていたのですね。 兎に角、囃し立てていた男子どもは、 あまりのインパクトに全員黙りました。 教室が「シ〜ン」となったのを覚えています。 以来、男子連中は誰も彼女をからかわず、 僕は一人でサイクリングするようになったわけです。

 息子が自転車に乗れるようになったのも、 他の子と比べればやはり遅い方だったろうと思います。 奴がへっぴり腰で自転車を漕いでいる小さな公園の周りの土手を、 同い年くらいの女の子がモトクロスよろしく自転車で駆け抜けていた。 僕は「お譲ちゃん、危ないよ〜」などと声を掛けていました。 その子は後に息子と同じ少年サッカー団に入りましたが、 小さいくせに惚れ惚れするような運動神経を見せてくれました。

 いつの世にも自転車泥棒というのはいるもので、 僕も横浜に越してから一度経験があるし、 息子も一度やられています。 僕のときも息子のときも見つかったのだけれど 錆が回って使い物にならなかった。 息子の場合、一人っ子ということもあって、 マウンテンバイクが欲しいと言っては、 今度はママチャリが欲しいと言う。 サッカーボールを入れる籠が必要というのだけれど、 本当のところはきっとそれが仲間内のトレンドで、 マウンテンバイクは無粋だったのでしょう。

 息子の自転車は3代目でした。 初代は黄色い幼児用の自転車。 2代目が盗まれ、発見したが傷みが酷かったので 買い換えたマウンテンバイクです。 しかしこれも全くケアしないのでサビサビ。 チェーンもサビサビで動かなくなったと放ってありました。 きっと愚息はそのうちママチャリが買ってもらえるくらいに思っていたのでしょう。

 或る日僕は用事のついでに自転車屋までそれを押して行きました。 雲が垂れ込めていたのだけれど、悲しいかな、 20mも歩むといきなりのどしゃ降り。 片手に傘、片手に空気の抜けきったタイヤのサビサビ自転車。 必死の思いで800mほど離れた自転車屋に辿りつき、 オーバーホールを頼みました。
「金に糸目は付けませんから安全に乗れるように直してください」
餅は餅屋です、用事を済ましている小一時間のうちに、 すっかり綺麗になって出てきました。

 ところが2ヶ月と立たぬ或る夜、 息子が塾に行った帰り鍵が壊れたらしく 放置してきたと聞きました。 そのうち息子がなんとかするだろうと放っておいたのですが、 2〜3週間経っても自転車がない。 奴が塾から帰った或る夜、どうなったのかと尋ねてみたところ、 「今日見たら無かった。撤去されたんじゃない?」と言います。 息子はそう言ってテレビを見ている。

 僕はテレビを消せと告げました。 思うところあったのでしょう、奴は珍しくすんなりとテレビを消しました。 僕は暫く黙って考えていましたが、 どうしても心収まらず、深夜ではありましたが「行くぞ」声を掛けた。 息子は着いて来ました。

僕は車の中で、奴に訊きました。
「どうして探しに行くと思う?」
「・・・物を大事にするため」
「・・・違う」
僕はその答が気に入りませんでした。
「教えてやろうか、  おまえが初めて自転車が乗れるようになったとき、  黄色い自転車で、  公園の中を何度も何度も回っていた。  おまえは覚えてないだろうけど、  俺は覚えている。  『夢のようだ』と言って、  何度も何度も回っていたよ。  だから探しに行くんだ。」

 現地に着いて探索すると、 少し場所を移して置いてあるのを息子が発見。 さてどうしたものか、 自転車屋の前まで運んでチェーンを付け 明日修理を頼みに行けと指示。 問題はどうやって運ぶかです。 自動車に積もうと提案しましたが、 奴は「大丈夫だ」と言います。 僕は自動車で先回り、 もはや僕より背の高くなった息子は まるで子供を抱き上げるように自転車を抱え上げ、 数百メートル先の自転車屋まで運んで行きました。


--- 24.Jul.2003 Naoki

back index next