鶏頭

 墨田勤めも一段落付き、川崎へ復帰する運びになって来ました。 どこへアクセスするにも不便のないよう、セカンドハウスは四ツ谷に移転。 子供を育てながら毎日満員電車で通いつめている女房の臨時宿泊所代わりでもあります。 あまり街中は好まないだろうが、彼女の勤める大学に程近いので役には立つはず。

 新しい土地に来たという感慨はなく、むしろ懐かしい気がします。 外苑東通りは幾度となくスタジオへ通った道。 246から折れて信濃町(ここのスタジオには用がなかったが)を後に曙橋、高田馬場、池袋、大塚、もしくは田端というのがお決まりのコース。 曙橋付近には行き着けのスタジオが2つありました。 幾度か爆風スラ○プの面々と出会うこともあった。 ベーシストのほ○じん君は関西出身で、品が悪く、いつもオゲレツなことばかり口走る困った輩でした。
「おぉ、ネズミオトコ!(ホ○ピーに付けられた渾名) いま何(誰のバック)やってんの?」
久々に会った彼は僕を覚えていたらしく、例によって巫山戯た態度で話しかけてきました。 仕方がない、罵詈雑言を浴びせかけられることを覚悟で 「もう結婚してサラリーマンしてるんだよ」と告げた。 すると彼はスッと真面目な顔になり、とても彼のものとは思えぬ口調でこう言いました。
「え?・・・あぁ、そうなんですか・・・」
背筋に水が走ったような気がしたのを覚えています。

 よく第二の人生という言葉があるけれど、僕の場合は今がそれであるような気がします。 そして、最近よく考えるのは第三のそれ。 実はあれこれ構想がある。 若い頃よりも現実的なのだけれど、生活を知ってしまっている分、別の意味で遠くに感じられる夢です。 食わなきゃならないと考えてしまいますからね。 若いときは食える食えないなど実感が伴わない分無関心であるのに、先ずそこへ頭が行ってしまう。 更には、食わせなきゃのような以前にない生活感がある。 どれも言い訳みたいなものなのだろうと思います。 本当に自分を投げ出す決心がついたら、その辺りの屁理屈はあまり意味を成さないでしょう。 まぁいずれにせよ、引っ越すというのは、そういったことを考える好機になります。 単にロケーションを変える、それだけのことでも心が活性化する。

 引越しをしたのは何回目でしょうか。 奈良、横浜、早稲田・・・ 奈良では3箇所覚えています。 赤ん坊の頃、長屋だったか、伊勢湾台風で壁が崩れてきた記憶がある。 幼稚園の頃、駅前のアパート、靴が片一方沼に取られた。 姉キが僕のおもちゃの電話を二階から投げて壊した。 執念深く覚えています。 その次は一戸建て、大黒柱という太い柱が二階まで貫通していた。 庭があった。

 昨今庭というものには縁がなく、いったい何が好まれているのかわかりませんが、 当時の関西では、飼い犬といえばスピッツ、庭木といえばサルスベリ、 花壇の花といえばケイトウが流行っていたのではないかと思います。 ケイトウは初秋に開花する一年草で「牛後(ギュウゴ)となるなかれ」のあの「鶏頭」。 ちょうど鶏冠みたいな形で深紅のビロードのような質感を持った花です。 今は亡き桂枝雀さんが「鴻池の犬」という噺の枕でご自身の幼児期について語っておられました。 お父上に抱えられて庭の隅へ小便をするとき、やはりケイトウらしき花が咲いていたんだそうで、 日射しの暖かさ、目に映る赤い花の色から感じる暖かさ、背中から伝わるお父上の体温の暖かさ、そしてオシッコの暖かさ・・・ 枝雀さんは、子供心に、ひょっとしてシアワセとはこういうものなのじゃないかと感じたんだそうです。

 マンション暮らしでもベランダ栽培という手があって、ハーブやフルーツトマトなんぞを育てている方々が少なくありません。 お隣もそう。 緑に囲まれて暮らすというのはなかなか良いものです。 でも、できれば土があってほしいし、小鳥や虫けらでいいから野生がほしい。 夜な夜な弾き語りの練習場となった環境保全地区は、今では穴場でもなんでもなくなり、天気のいい日は沿道に車の行列ができます。 たいした観光名所があるわけでもない、幾つかの施設を除けば、あるのは田んぼと雑木林。 それでも、そこにやってくる人が多いのは、やっぱり必要なんだな、そういうものが。 冬枯れしていた木々は今うっすらとピンク色に見えます。 新芽が膨らんでいるのです。 一つ一つは小さな小さな新芽なのだけれど、森全体がムクッと膨らんだように見えます。 木は動かないから子供の頃は興味なかった。 でも、よく見ると一日として留まっていない。 森全体で生きている、そんな感じが好きです。

 第三の人生は、好きなものと一緒にありたい、そう思います。 四ツ谷は、いわば正反対のロケーションになります。 けれど、矛盾するようですが、そこを選択することは次へのステップに相応しいと感じました。 これ以上もう文句はないだろう、思い残すことはないだろうというような気持ちが、東京のど真ん中を指差したんだと思います。


--- 28.Jan.2003 Naoki

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