ドリーム

 好きな言葉はいろいろありますが、一つだけ挙げるとすれば、キング牧師(Martin Luther King, Jr.)が有名な演説(1963年)に用いた"I Have a Dream"でしょう。彼は志半ばで暗殺されてしまった(1968年)わけですが、まぁ、人生は人其々・・ただ、如何なる状況でも、"I Have a Dream"と言える人間でありたいとは思います。ジョン・レノン(John Winston Ono Lennon)の名曲"Imagine"(1971年)も同様だと思います。あ、彼も暴漢に殺されてしまいましたが(1980年)・・

 "Dream"には、いろんな解釈が可能だと思います。語源は、古サクソン語で「楽しみ、音楽、夢」を意味する"drōm,"あたりだそうです。大和言葉の「ゆめ」は、「いめ(寝目)」から転じたものだそうで、文字通り寝てる間に見るもの、現実ではないもの、あるいは消えてなくなる儚いものといったニュアンス。そんなこんなで"Dream"は、就寝中の幻想、楽しい空想、思い描く理想、実現したいゴールの姿、幕末なら「志」と意訳されたでしょうか。

 "I Have a Dream"から感じる"Dream"は、それらのどれとも異なり、どれにも触れている言葉です。いやいや、そこで語られた"Dream"は単にゴールを指す言葉だ、とおっしゃる方がいるかもしれない。けれど、実現したいゴールの姿って、実際には茫洋としていないでしょうか。たとえば、五輪選手の「ゆめ」が金メダルだったとして、優勝しちゃったら次はどうするでしょう、連覇でしょうか。連覇したとしても、やがては勝てなくなる、そうしたら「ゆめ」を失うのでしょうか。監督や育成に活路を見出す人もいるでしょうね。けれど、それも必要なくなったら、できなくなったら、そこで「ゆめ」は終わるのでしょうか。もっというと、その人が死んでしまったら、「ゆめ」もまた消滅するのでしょうか。

 少なくとも、キング牧師やジョン・レノンの「ゆめ」は、なんらかの形で今も続いているように思います。もっと名もない人の、世間が知り得なかった「ゆめ」ですら、きっとどこかでまだ息衝いているのではないでしょうか。それらの「ゆめ」が形作っている世界の中で、我々は生かされています。なので、"Dream"の意訳を、単に幻想、あるいは単にゴールと定義することは、どうも困難に思えてなりません。

 いずれにせよ、心にとまる言葉には、言霊とでも言いましょうか、なにか精神的なものが宿っている気がします。若いころは、幕末の志士よろしく「草莽崛起」なんて言葉が好きでした。その文字やルーツとなった故事以前に、感情的に高揚させてくれる不思議な力があります。少々年端が経ってくると、これまた幕末の志士よろしく「至誠」なんて言葉が好きになりました。やはりある種の気分を伴っています。もっとも、そういった気分は人を陶酔させて操る道具にも悪用されかねませんから、一定の冷静さをもって受け止める必要はあるのでしょうね。

 大和民族は、漢字によって文化を学び、アルファベットによって文明を学んできました。そのせいか、心にとまる言葉というものは、往々にして外来語です。それを逆手に取り、音訓混合にして「見える化」なんてキーワードを生み出したり、わざわざ片仮名で「カイゼン」なんて表記にしてみたりします。理に適った方法なのでしょうが、やっぱり「臥薪嘗胆」だとか「イノベーション」だとか、アチラ言葉に忠実な方が、どことなくアリガタイような気がします。

 最近になって心にとまったものに、「用行舎蔵」という言葉があります。孔子の言葉なんだそうで、大凡次のような意味です。世の中が自分を認めて任用するときは進んで道を天下に行い、世の中が自分を見捨てて用いないときは抱負を心の中にひそめて退き引きこもる。なにそれ、普通じゃん、ということですけれども、その言葉が伴っている気分、精神的なものに共感してしまったのです。

 孔子については、よくは知らないのですが、論語の「為政」が有名ですね。15才:志学、30才:而立、40才:不惑、50才:知命、60才:耳順、70才:従心という、あれです。当時(紀元前5世紀頃)としては長生きされたんですかね。面白いことに、現代の自分であっても、五十の頃は天命について考え、還暦に近づくと耳順の心境を理解できるようになった気がする・・彼は一流の心理学者だったのでしょうか、ついつい共感してしまいます。彼の言う(曰ったとされる)「用行舎蔵」も同様、ふと共感できる感慨を伴っています。それは、「用行」にも「舎蔵」にも共通するもの、"Dream"の存在です。

 我々は、結果を求め、求められて生きてきました。学業も、スポーツも、仕事も、音楽をするにしても、結果が重要でした。一方、"Dream"は結果ではありません。むしろ、結果とは異なるから"Dream"なのです。「実現しない夢は夢に値しない」といった論調も耳にしますが、「用行舎蔵」はそれを否定する言葉のように感じられるのです。勝ったのか、負けたのか、いくら儲けたのか、何人の支持を得たのか、正解を見出したのか、目標を達成したのかといった結果が尊いのではなく、そのための行動をしているのか、あるいは秘めているのかにかかわらず、持ち続けている"Dream"そのものが尊いように感じられる今日この頃です。それが現世でどうにかなるのか、ならないのか、来世ではどうなのかといったことは、オマケのようなものなのかもしれません。


--- 2018/4/5 Naoki


子どものころ幾度となく耳にした
モンキーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」

何度聞いても心を奪われる
スーザン・ボイルの「デイ・ドリーム・ビリーバー」

back index next