梅田の真剣勝負

ちょっとエッセイを書かないうちに何があったかというと、 カミサンがベルギーの主婦と文通を始めましたね、フランス語で。 Eメールだけじゃなく郵便もやりとりしている。 写真も届きました。 子沢山のお母さんと聞いていたから凄く逞しそうな中年女性を想像してたら、 これがなんと大変な美人。 こう言っちゃ悪いが、年頃の娘さんより目立つ。 ダンナはオーソン・ウェルズを強面にしたような感じで、息子もそっくり。 こう言っちゃ悪いが、絵に描いたような美女と野獣。 手紙はというと、ただでもフランス語がわからないところ、 羽ペンで書いたような、中世のお城の公文書みたいな、もの凄い達筆。 だから、余計に読めない。 でも、そういう文字が書けるって、 きっと向こうの女性のたしなみなんだろうな。

僕は、仕事でラスベガスに行ったくらいかしら。 シアトル以来、2年ぶりの渡米。 ロスでトランジットが必要。 ロス上空ではスモッグの黒さに驚いた、地球規模だね。 乗り継ぎ時間は余裕がなく、そのくせ棟を探し、搭乗口を探し、極めて分かりにくい。 行きは職員10人くらいに訊きまくって滑り込みセーフ。 帰りはベガスのテイクオフが1時間以上遅れ、ロスに着くなり走る走る。 酷い目に遭いました。 ベガスそのものは、砂漠の中に忽然と現れたゴールドラッシュのモニュメント、 巨大ハリボテ娯楽都市、苦手です、馴染めなかったです。

そんな旅より、今日の小旅行の方が感動的でした。 ここ1年半ほど、月に一回仕事で大阪に通ってたんです。 梅田で一杯引っ掛けて帰る。 最初はなんたら横町とかなんたら食堂街とかに寄ってたんですが、 いつのころからか、阪急17番街方面のタコ焼き屋が定番になりました。 「蛸之徹」という屋号です。 ここは、お客さんが自分でタコ焼きを焼いて食べる。 お好み焼きと違ってなかなか上手には焼けず、 とんでもない形になってしまったりするのですが、 出来合いのものとは違い、遥かに美味しい、これぞタコ焼き。 周りは香ばしく、中は火傷せんばかりに熱いジューシーな生地とプリッとした具。

まぁ、素人が簡単に焼けるものではないので、 店員さんが構えていて、「手伝いましょうか?」とやって来る。 千枚通しのようなやつ一本で、クルッ、クルッとまとめてくれます。 何度通っても、なかなか一人では完成させられず、 見かねた店員さんがクルッ、クルッと形にしてくれる。 店員さんは若い人ばかりで、アルバイトかもしれないが、皆とても上手です。

最初に僕を見てくれたのは、スッと背の高い青年でした。 小学校時代に愚息が世話になっていた2つ上の先輩で、 とてもサッカーが上手く、とても気のいい子がいました。 そのお兄ちゃんのアキオもまたサッカー選手、この子に似てる。 そっくりなんです。 一目見たとき本人かと思ったくらい。 だからよく覚えていました。 向こうも、月一とはいえ単身来店するこの髭男を嫌でも覚えたようです。

今日もその青年の世話になったのです。 タコ焼き用の鉄板に生地を流し込んでもらってから、 生ビールを飲み、土手焼きを摘み、煙草を吸ったり、メールを覗いたり、 余裕綽々でタコ焼きを返すタイミングを待つ。 返し始めてからも、生ビールを飲み、土手焼きを摘み、 片手間でもなんとか調理できるようになりました。 それでも火の周りが凹みによって異なるため、 半分はぐちゃぐちゃの状態に。

「手伝いましょうか?」
例のアキオ似の青年が来てくれました。
「なんぼ通ってもあきまへんわ、手先が不器用なんかな」
「そんなことないですよ、滑り出しは良かったやないですか」
僕は、実はもうこの店に来ることも殆どなくなることを告げました。 この下期から担当する地域が変わるかも知れないからです。 なので、もう一つオーダーすることにしました。
「この、明石焼き風っちゅうやつ頼みますわ」
「どの具にしはります?」
「普通ので良いけど、、、あ、蛸紫蘇っちゅうやつで」
「わかりました」
青年は笑顔を見せた。 その理由は後で分かります。

子どもの頃、蛸は高価でしたので、たいてい烏賊のゲソを刻んだものが入っていた。 これを奈良の西大寺駅前にあった風呂屋の隣りのオギノという駄菓子屋で焼いていた。 熱々のタコ焼きにはソースが塗られ、青海苔が散らしてあった、美味かった。 幼稚園の頃は一舟に4個、小学校に上がったら3個で10円でした。 ところが、一度だけ母に、奈良の駅前で「明石焼き」をご馳走になった。 これは、ソースではなく、出汁に浸けて食べる。 全く別の料理でした。 でも美味しくて出汁まで飲もうとして叱られた。 大人になってから神戸で一度食べたけど、そんな味じゃなかった。 もっとデリケートで、不思議と「とろけるような味」がしたんです。

青年が蛸と青紫蘇入りの生地を運んで来てくれました。
「今度は手を出しませんよ、いいですね?」
「はい、自分一人で完成させます」
青年は、紫蘇ならきっと上手く行くと言います。 通常使う刻み葱は調理途中に水分が出るので纏めにくい。 紫蘇ならしっかり仕上がると勇気づけてくれました。 それから、頃合いを見て鉄板の上下を換えてくれることを約束。 仕上げが肝心だと言うこと、 1列が焼けたら転がして隣りの凹みへ移す鞍替えの術について解説。 急にきりっとした顔で、
「葱と紅生姜は入れないでください」
「はい、わかりました!」

追加注文したビールの気が抜けようとお構いなし。 膝に手を当て身を乗り出して生地を見つめる。 見るべし、見るべし、水分が飛び、 返すタイミングが訪れる、その一瞬を逃さないためです。 待つべし、待つべし、ひたすら待ちながら、 生地を見つめ、生地の呟きに傾聴し、 知るべし、知るべし、生地の心を知るべし、 今だ! 返しを始める。 小麦色のタコ焼きの尻が顔を出す。 3×4=12個全てを完成するために、 手際良く生地を分離し、返すべし、返すべし、 落ち着いて速やかに返しながらはみ出た生地を下へ入れていく。

青年がやってきて鉄板を回し上下を換えてくれました。 火加減を満遍なくするためです。 それでも早熟玉と晩生玉がある。 回すべし、回すべし、回しながら見事狐色のボールを作っていきます。 青年が来て火加減を調整してくれました。 早熟玉を引き上げ、晩成玉を転がしながら鞍替えで整えます。 一個、また一個完成していく。 通りかかったお姉さんが火を落としてくれました。

3×4=12個全てを独力で完成させたのは初めてです。 他のお客さんの料理などを運びながら、再び青年が見に来てくれました。
「めっちゃ上手じゃないですか!」
めっちゃ上手なはずはないのです。 けれど青年は、愛弟子である髭男の成長を賞賛したのでした。 結局は火加減を調整してもらい、鉄板を回転させてもらい、 髭男は只々タコ焼きを回すことに全神経を集中したのみ。 けれど、青年のコーチングは心に響き、大いなる達成感を与えてくれました。 そして、何より嬉しかったのは、出汁に浸けて食べたその味が、 あの味だったことです。 香ばしくも上品で、不思議と「とろけるような味」、 40年前の幻の明石焼きの味を堪能しました。

タコ焼きの生地は鉄板一面に敷かれる
素人がやるとこのような不思議な物体に
それでも焼きたてのタコ焼きの味は格別

--- 12.Sep.2007 Naoki

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