分水嶺

 ここで、パンデミックの語源だとか、生物進化とウイルスの関係だとか、遺伝子工学の進歩だとかについて生齧りな蘊蓄を垂れても笑止。専ら身近に起きていることをつらつら綴ってみようと思います。

 前回のライブ後、世界の様相が一変しました。中国は湖北省武漢で発生した新型コロナウイルスがあっという間に蔓延、このエッセイを書いている時点では、わかっているだけでも世界中に感染者が百七十八万人、亡くなった方が十一万人を超えようという状況。重傷者の多い欧米には事実上の医療崩壊状態が発生し、日本も遅まきながら(この時点では七都府県にのみ)緊急事態宣言を出して外出を(禁止ではなく)抑制、各種のイベント、スポーツ、観光、人が集うような活動や営業は事実上停止、それでも感染はぐんぐん増え続け、経路を追えない事例が大半を占めるようになっているところです。

 緊急事態宣言が出される前、この期を逃すまいと、箱根に行ってきました。箱根の湿生花園で入手して実家で育てていた山桜があったのですが、黄金虫にやられて立ち枯れてしまい、親父がずいぶん口惜しがっていたのです。また買ってきてやろうと思いつつ早六年、山桜の苗木が手に入る三月に箱根を訪れる機会がなかった次第。親父も高齢なので、今年こそと思っていたら、このコロナ騒ぎ。行くべきか、行かざるべきかと悩んだ挙句、温泉を断念、自家用車を利用、アルコールスプレーを持参、もちろんマスク着用の重装備で出動。

 数日前に湿生花園が開園したことはネットで調べてあったのですが、着いてみると休憩所や土産物屋は閉鎖、人影は疎ら、スタッフも殆ど見かけず、苗木なぞ「な」の字もない。なんと無駄足。でも、ここまできた以上、手ぶらでは帰れません。山桜の苗木探しの旅が始まりました。芦ノ湖が賑わっていたので立ち寄りましたが、植木屋らしきものは皆無。目を見張ったのは、遊覧船から降りてきた方々の多さ。大問題になった豪華客船のニュースが連日流れていたので船は敬遠しそうなものですが、そうじゃないんですね。この辺の心理はよくわかりません。そこを後にして小田原まで下り、植木屋さんを発見、あったあった山桜の苗木! 目的を達し意気揚々と帰路につき、高速道路のサービスエリアに立ち寄った頃にはとっぷりと日が暮れていました。屋内はごった返していたので、車内に戻り暫しの休息、ササヤカな満たされた時間。

 そうこうして苗木を実家へ届けたまでは良かったんですが、後日お袋から電話、親父が庭で転んで立てないらしい。実家へ急行、救急車を呼んで救急病院へ、骨折の診断、そのまま入院と相成りました。当時はまだ会社に出てこいという指示もあったのですが、両親が高齢だからとテレワークを強行。お陰で、勤務が終わり次第、独居老人世帯となってしまった実家に向かい、買い出しやプチ日曜大工等々のナンチャッテ親孝行生活が可能になりました。その足で病院へ差し入れにも行きます。手拭き、爪切り、パッド端末等々の雑貨を持っていくわけですが、コロナ騒ぎの渦中、病室には入れません。看護師さんにお願いして届けてもらい、不要になった物を戴いて帰るという流れ。

 そんなある日、親父から「珈琲飴たのむ」との連絡がありました。そういえば子どもの頃そんなキャンディがあったようにも思いますが、最近はとんと口にしたことがない。まだそんなものあるのだろうかとコンビニに行ってみましたが、やっぱり見当たりません。なんでこんなときに珈琲飴なんぞ、とも思いましたが、わざわざ指定するくらいだから余程欲しているんでしょう。ナンチャッテ親孝行のみぎり、ここは意地でも探すしかない。今度はスーパーに出向き、お菓子売り場を端から指差し確認開始。やっぱりないかと諦め掛けていると棚の端の下段、あったあった珈琲飴! ところがです、親父から「やっぱり今日はくるな」というメールが。

 折角見つけたのにそれはない、理由を訊くと「三日ほど前から隣の病室が変や(関西弁)」とのこと。どう変なのかと訊くと「入り口にバリケードができて防護服着た人がベランダから出入りしとる(関西弁)」とのこと。看護師さんに訊いたらどうかと勧めると「看護師は言わんし、知っとるのはわしだけや(関西弁)」とのこと。察しは付きます。ちゃんとゾーニングしてるみたいだから大丈夫だと返信して病院に向かいました。着いてみると、今まで使っていた出入口は閉鎖され、正面玄関に回るとガードマンが応対、しばらく待たされ、ピストルのような体温計で検温され、ようやく許可が降りました。なんとなく空気が張り詰めているように感じられます。

 病室の階へ上がり、いつになく静かなナースセンターのベルを鳴らして差し入れをお願いすると、担当の看護師さんを呼んでくれました。担当は二人います。一人は小柄でメガネの可愛い女性。後で知りましたが、親父と郷里がとても近く、数年前に出てきたばかり。その割に訛りがないのは、頑張って標準語を特訓してるからだとか。もう一人は、中背でやや細身の美人。マスク越しにも分かります。後に親父曰く「○○ジャ〜ン」などと砕けた口を利くので「なんじゃこの娘は(関西弁)」と思っていたが、実は一番優しいのだとか。夜中に「足拭いてあげようか」とやってくるので「もう自分で拭きましたから結構ですわ(関西弁)」と断っても「温かいお湯で拭くと気持ちいいよ」と勧めるらしい。

 その美人が応対してくれました。以前は気が付きませんでしたが、手にはビニールの手袋を二重に嵌めています。心なしか髪は乱れ、額は汗ばみ、少しお疲れの様子。それでも、近くに来るなり目元でいつもの笑顔を作り「差し入れですね、ありがとうございます」と仰った。それはこっちの台詞だろうに。医療現場では、こんな娘さんたちを含め、命懸けの優しさで働いている方々がおられるのだということが、改めて胸に突き刺さりました。本当に頭の下がる思いで帰宅すると、親父から「珈琲飴たすかったわ(関西弁)」というメールが。そんな礼をよこすとは珍しい。そこでハタと気が付きました。コロナに感染した野球選手がコーヒーの香りを感じなくなった旨の記事がありましたから、親父は試薬代わりに珈琲飴を所望したのでしょう。メールにはこうも綴られていました、「隣、まだ生きとるわ(関西弁)」。

 で、先日、ようよう退院。お隣さんは他の病院へ搬送されたとのこと。救急病院だったので、昼夜問わず日に数人が担ぎ込まれていたらしいのですが、大抵は怪我か肺炎のような患者だったらしい。面会謝絶されてそういうドタバタを見聞きする入院生活、看護師さん達の献身的な働きがどれほど心強かったことでしょう。「いや、あの二人だけや(関西弁)」とは親父の弁。「他はアカン、なんもしてくれん」とかなんとか言ってましたが、親父の知らないところでいろいろやってくれていたはずです。もう一つラッキーだったのは、その病院の副院長が親父の掛かり付けだったこと。専門分野は違うのですが、入院初日から時折見舞いに来てくれたらしく、さぞ心強かったことでしょう。退院の朝にも来てくれたそうで、「良かったですね言うて握手までしよって、ワシまた手ぇ洗うたがな(関西弁)」。

 その後、コロナ騒ぎは日増しに厳しくなっています。この騒ぎが収まった後には、これまでの日常が復旧するのでしょうか。何人もの識者が、そうではないだろうと推測しています。過去、西洋の中世末期のペスト、日本の幕末のコレラ、第一次世界大戦のスペイン風邪などを経る度に、世の中は次の姿にシフトして行ったそうです。政治や経済に留まらず、暮らし方や考え方まで次の段階へ進むのでしょうか。我々は、シンギュラリティ(技術的特異点)を目前に、ネット社会、AI、遺伝子操作も含め、未だ嘗て経験したことのない分水嶺を越えようとしているのかもしれません。

 さて、学校施設も閉められていますから、少女サッカークラブの活動も休止しています。大会中止どころか、最高学年の卒団式もできずに新年度に突入。見通しの立たない中、最小限の構成で式を強行する運びになりました。場所は公園、できるだけ手短に、出席は卒団生、現役選手代表、保護者、最小限のコーチのみ。散らずに待っていてくれた桜の花の下、白いマスクをつけた子どもらや親御さんたちがやってきました。僕は、何もしてあげられないけれど、こんな言葉を贈って式をお開きにしました。

---(要約)
君たちがサッカーを始めたころ、よく「かたまるな!」って言われてたよね。いま、世界中が「かたまるな!」と言われています。でも、一人一人に分かれて、なにもしなくていいかっていうと、そうじゃなかったよね。ボールが来ないときだって、次のことを考えて走ってたよね。何をするのが一番いいのか、考えながら走っていたと思います。いつかまた、集まれるときが来ます。それまでのあいだ、いま、そこで、何をするのが一番いいのか、考えながら走り抜けましょう。
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--- 2020/4/12 Naoki


実家に向かう途中の桜並木
今年も咲いて見せてくれた


公園で少女サッカー卒団式
マスクをはずして記念撮影

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