世界を「股」にかける男


 子供の頃、「世界」という言葉と「地球」という言葉を同義に捉えていました。 「『世界』って、地球のことだよなぁ」ってね。 これが、哲学だとか物理だとか、はたまた文化人類学なんかになれば当然違う意味になってくるのかもしれませんが、子供の頃の自分が観念的に把握できるもっとも大きな「場」が地球であったのでしょうね。 二度目の宇宙飛行となった向井千秋さんは、窓から地球を臨みながら船内で自転車漕ぎ体操をやっていると、世界一周のサイクリングをしているようだという感想を述べられたそうですね。 スペースシャトルだと、まぁ、上がりすぎた旅客機みたいなモノでしょうから、窓から丸く大きな青い地球が臨めるようです。 これが、地球引力圏の軌道を逸脱するような本格的な宇宙旅行になってくると、地球が本当に小さな宇宙の宝石のように見えるのだそうで、宇宙飛行士の中には人生観が変わったり、かなり神がかってご帰還になる方もおられるようです。 アポロ13号のタンク、これは推進燃料庫でもあり発電機でもあり酸素や水の供給源でもあったのだそうですが、これが破損して帰還が危ぶまれたことがあります。 大気圏突入の際に管制側から、進入角度が浅すぎて跳ね返されて宇宙の孤児となるか、深すぎて大気摩擦で燃え尽きるか、どちらのリスクを容認できるかという問いかけがあったとき、飛行士達は迷いなく後者を選んだと聞きます。 地球は、美しく、愛おしく、ずいぶんと小さなモノのようです。
 しかし、酔っぱらって駅から歩いて帰宅するときなど、やれ遠い道のりだの感じてしまいます。 僕はあまりいろいろなところに出向いたことがなくて、勤め先の支社や拠点が世界の数カ所にありますが、一度も行ったことがない。 それどころか、九州や東北にある工場すら訪れたことがありません(近々行かされますが)。 専ら関東近辺でうろうろしていますから、もし足輪か何かを付けて放たれたとしても、観察記録には「移動しない個体」としか記されないでしょう。
 僕は元々「ギターフリーター」でしたから、今の勤め先には途中入社ということになります。 そういう意味で、同期と呼べる人は二人しかいませんでしたし、その内の一人は既に退社してしまいました。 残る一人というのが、大山という人物です。 今では珍しくもなくなりましたが、僕は彼によって、はじめて「ナンパ」の何たるかを知ったのであります。
 学生時代から「ナンパ」という言葉はありました。 異性迎合主義的学生を軟派、異性差別主義的学生を硬派と呼んだ、その前者が「ガールハント」という意味に派生したのであろうかと思いますが、知人に表立ってそういうことをする者がいませんでしたね。 こんな逸話があります。 例の後輩の小暮君達ロックグループ四人組が車で海水浴に出かけたら、高速道路で同じ方向に向かうギャルフォー車(女の子ばかり四人連れの車)を発見、併走しては窓を開けて「ヒューヒュー♪」と囃していたそうです。 あんまりやると危ないですから、適当に自制して先に行かせてあげた。 さて、小暮君たちが海水浴場に到着してみると、奇しくも同じ駐車場に例のギャルフォー車が停まっている。 四人が喜んで砂浜に繰り出してみると、やはり道中の女の子達がいたのだそうです。 あなたならどうします? そのとき彼らのとった行動は、再び「ヒューヒュー♪」です... 僕の知人というのはこの程度の輩ばかりでした。
 まぁ、子供じみてるんですね、悪く言えば。 いま、小学生のサッカークラブのコーチをしていますが、よく似ている。 日曜日の昼下がり、六年生の部員が三人ほどサッカーゴール付近で遊んでいるのを見ていたことがあります。 その裏手に砂場があって、六年生の女子が二人、しばらくは近くで立ち話のようなことをしていましたが、やがてその砂場にしゃがみ込み、砂いじりを始めました。 小学生とはいえ、六年生にもなると女子はりっぱなお嬢さんです、砂いじりなどするでしょうか。 ははぁん、お目当ての男子がいるのかなと思いました。 しかし、蹴り損ねたボールが近くに転がってきても、彼女たちは見て見ぬ振り、男の子達も「とってくれ」とも言わず、何事もなかったようにボールを拾いに来ては遊んでいます。 その内、ゴールを山なりに飛び越えたシュートがまともに彼女たちの方に飛び、当たってしまいました。 このときは面白かった。 シュートした子にもう一人の男の子が無言のまま執拗に蹴りを入れる真似を始めたのです。 蹴られたれた方は、突如走り出して反対側のゴールの先の運動場の端まで逃げてしまいました。 僕は、吹き出しそうになりながら、「いいなぁ...」とこの光景を眺めていました。 思えばこの翁にして、若かりし頃ファーストキスとやらをしでかしたとき、駅まで500メートルを疾走して逃げた記憶があります。 なんで逃げるんですかね。
 ところが、この大山という人物は違うのでありました。 例えば、同期三人でビジネスショー見学(当時は晴海埠頭が多かったですね)に出かけたとします。 ショーが終わると、大山さんは「(最寄り駅まで)歩いて帰りましょう」という。 それにつきあって歩いていると、前方50メートル位に「ギャルスリー」を発見するわけです。 次の瞬間、大山さんは既に50メートル前方にワープしている。 何やら話し込んでいたかと思うと大山さんとギャルスリーが一斉にこちらを振り向く。 僕ともう一人の同期は気が小さいですから、電柱の陰に隠れたりしているわけです。 女の子達は手を振って行ってしまい、戻って来た大山さんが眉毛を八の字にして「どうして隠れちゃうんですかぁ」と呆れる。 こんな事が何回あったでしょう。 後ろから駆け寄って何と言って声を掛けたのか尋ねたところ、「君たちコンパニオン?」だそうです。 誘ってみて「冗談じゃないわよ」と断られたら何と答えるのかというと、「(笑って)冗談じゃないよねぇ」だそうです。 感心するのは、その「ナンパ」が成功しても失敗しても女の子は悪い気がしない。 成功すればもちろん良しでしょうが、失敗しても「アタシ今日ナンパされちゃってさぁ」などと話しのネタにしながら女の子はけっこうハッピーなのだそうで、これは大山さんのモットーでもある。 この辺が彼のモテた秘訣であろうと思います。
 この大山さんについては語るべき事が多々あるのですが、ちょっとその辺りは省略させていただいて、或るもう一つの側面をご紹介しておきたいと思います。 僕が、このナンパ男を見上げた人物だと思うのは、彼の海外での活躍ぶりです。 彼は、外国語が得意だとか渡航経験が豊富だとか、そういうことは決してなかったと記憶しています。 僕が記憶している彼の最初の海外仕事は、スカンジナビアのクレーム処理です。 当時ノートブックパソコンというものは殆ど普及していませんでしたからCRT一体型のパソコン、それにパソコンよりも更に重いと思われるICE(インサーキットエミュレータ)という機械を抱えて、単身スカンジナビア(スウェーデンでしたかノルウェーでしたか)に飛んだのです。 そこで、客先サイトの社員が帰宅した夜、一応白夜なのだそうですが寒いらしい、そこで毛布一枚膝に掛けて延べ2ヶ月間奮闘してトラブルを解決して帰って来たのです。 彼は、その名の通り体の大きな力の強い男でしたが、それでもパソコン二つ分の荷物と旅行鞄を持って、行ったこともない言葉もわからない国に一人で飛んで、しかも現地の局交換機が悪さをしているようなワケのわからない問題を、怒る顧客と友達になりながら、2ヶ月の夜間労働のすえ解決してきたのです。 僕を神経衰弱にさせたかったらこの内のどれか一つの条件で十分ですが、彼は元気に、帰路でスチュワーデスを「ナンパ」して帰ってきました。
 それから度々彼は海外に飛ぶことになります。 ヨーロッパが主であったと思いますが、殆どがクレーム処理です。 そして、数年前、僕が東京の関連会社に通うようになった頃と期を同じくして、自ら志願したのか米国の支社に出向しました。 支社は、コネチカット州のシェルトンとかいう田舎町にあります。 マンハッタンまで車で1〜2時間のところと思いますが、田舎だそうで、ニューヨークでの打ち合わせに参加した人が、「シェルトンから来た人が『ここは危険な街だ』と日本人よりも怯えていた」と言っていたのを思い出します。 先日、向こうに行っていた別の人が出向解除になって戻ってきましたが、「英語ペラペラになりました?」と聞くと、そうでもないと言います。 事務所には日本人が多く、殆ど日本語でこと足りるので、「向こうの人間を日本語ペラペラにして帰ってきた」のだそうです。 しかし、例の大山さんは、そこから更に別会社へ単身出向し、やはり半分はクレーム処理の仕事を引き受けて孤軍奮闘しているのだそうです。 僕は、彼のスケールの大きさと行動力に脱帽しています。 何が彼をそういう仕事にプッシュするのでしょう。 未だ見ぬ人、環境、社会、そういうものに(内心どうであれ)怯まず自分を投げ込んでいく意志が感じられるからです。
 先日話題にさせていただいた寿司屋の大将、この人は妻子連れでカナダに移住することを、どうやら本気で考えているらしい。 そういう先達がいるのだそうで、「観光店なら国から補助が出るし、何しろ自然が素晴らしい」のだそうです。 また、我が息子にしてみると、なぜサッカーの強いブラジルと弱い日本の交流が盛んなのか、なぜ小野リサというボサノバ歌手がブラジル人なのに日本人の顔をしているのか不思議なようです。 これらの例を挙げるまでもなく、日本人とはいえ島国にかじりついているだけの民族ではないわけです。 僕ですら、蒙古目というタイプの一重瞼でして、多分中央アジアから朝鮮半島を渡ってきたくちではないかと思いますが、先祖は馬を駆って旅から旅の遊牧民であったかもしれません。 いや、それが北海道にも沖縄にも行ったことがないのですから、自ずと了見が狭くなるわけです。 僕は世界の殆ど何処にも行ったことがない。 以前は「20万円持ってたらハワイに行かずにギターを買う」と言って憚らない面がありましたけど、今は時間があったら旅に出たいという欲求が膨らんでいます。
 さて、僕は今、日本語という言葉や社会環境に庇護されて息しています。 これが、大山さんのように海外へ出ると、話が違って来るであろうと思います。 しかし海外に渡ったにせよ、地球には守ってもらっているわけで、大気圏があるお陰で微少な隕石に脳天を貫かれずに済んでいます。 この大気圏の上層部には、今話題のオゾン層という膜があって、紫外線等々から生物全般を守っています。 更に、大気圏の外にはバンアレン帯という放射能の殻のようなものがあって、これは彗星を吹き飛ばしているあの膨大なエネルギーを持つ太陽風から地球を守っています。 では、太陽風というのが悪者かというと、これは更に桁違いの高エネルギーを持つ宇宙風とでもいうべきプラズマや素粒子の直撃から太陽系を守る役割を果たしているのだそうです。 つまり、人間というのは、社会に庇護されている以前に地球に抱かれた胎児のようなもので、その地球は母なる太陽に抱かれた子供のようなものだそうです。
 ボイジャーという無人宇宙船がありましたけれど、その2号でしたっけ、太陽系から飛び出していきましたよね。 奴が当時太陽系の最遠軌道をとっていた海王星を通り過ごしたとき、振り向き様に撮影した写真をテレビで見たことがあります。 もちろん、太陽系の外側から撮影された初めての写真です。 実際のところ、それがどんな絵であったのか具体的には覚えていないのですが、真ん中に輝く太陽が、といっても「とりわけ大きく明るい星」程度の小ささで写っていたように思います。 そこに三日月状の大きな海王星の後ろ姿があったでしょうか。 いや、輪を持った土星や木星の後ろ姿も写っていたようにも思えてなりません。 惑星直列を利用しての太陽系脱出劇だったので、あながち思い込みではないかも知れませんが、でも半分以上自分の中でイメージを作ってしまっているのではないかな。 僕は、その画像に対し、家族の古い記念写真というか、妙な既視感を覚え、冷静に見ていなかったように思います。 とにかく、ぐっとくるほど美しい写真であったということが記憶されています。
 ボイジャー宇宙船を擬人的に捉えてしまったのは、多分僕だけではないと思います。 「物にも魂が宿る」というと、手塚治虫さんとか水木しげるさんとか、最近では「地獄先生ぬ〜べ〜」なんかの漫画を連想してしまいますが、僕は結構この手のことをオカルトに考えていないんですね。 もっと言えば、狭義における生命の定義というのがどうも魂の定義とは別次元のものではないかという気がしていて、例えば手塚治虫さんの「火の鳥」で説かれているように地球や太陽そのものが「生物」であるという発想は奇抜なものではないと思います。 人類を地球の癌細胞に例える人がいますが、そうかも知れませんね、「人間は考える癌細胞である」なんちゃってね。 おっと、お話が発散傾向を見せています。 今日は「世界」についてのお話の序でございます。

--- 9.Nov.1998 Naoki

改訂 --- 10.Nov.1998 Naoki

改訂2 --- 14.Nov.1998 Naoki


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