不協和な平均律


 良い演奏をするためには、チューニング(調律)が肝心です。 どんなに上手に演奏しても、音程がずれていたのでは台無しです。 ジミ・ヘンドリックスのギターやロン・カーターのベースを例に挙げて反論する方がおられるかもしれませんが、本講義でそこまで芸術的なお話ができるとは思いませんので、その点はちょっと置いといてください。
 例えばギターの場合、昨今はチューニングメーターなる便利(?)なものがありますので、比較的容易に調律できるようになりましたね。 一昔前は、調律笛や音叉の音を基準に、ハーモニックス(倍音、フラジオレット音)などを使って調律するのが一般的でした。 しかし、チューニングメーターを使って調律しても、ハーモニックスを使って調律しても、ジャランとコードを鳴らしたりメロディーを奏でたときに何か音がずれているような気がしてならないという経験はありませんか? フレット音痴なのではないかと疑って他のギターに代えてもやっぱり同じという経験、ないですか? 管楽器の場合、例えばテナーサックスは“Bb”がベース(基音)となるように作られていますが、ベースは合っているのにどうしても他の音がずれるという経験をお持ちの方もおられるでしょう。 キーがBb(変ロ長調)なら気にならないけれど、キーがD(ニ長調)だとチューニングがずれて聞こえるとか、あるでしょう。
 これは、我々が音楽的経験上、純正律と平均律の両方に感化されていることによります。 プリミティブ(原始的、本来的)な音楽の殆どは、純正律的なインターバル(音程)を持っています。 純正律は一つのアクシス(軸音)のハーモニクスとその転回系からなるインターバルを持っており、実際に使用される音はその音列から選択されますから、楽曲のモード(旋法)は様々です。 しかし、我々の慣れ親しんだメジャースケール(長音階)も、純正律で近似的に表現することができます。 例えば、「ド」の周波数を基準に考えると、「ミ」は1.25倍音、「ソ」は1.5倍音、オクターブ上の「ド」は2倍音になります。 一方、チューニングメーターが指し示すのは平均律です。 平均律というのは、オクターブを12分割したどの音をベースにしても等間隔な音程が得られるよう指数関数的に周波数を決定する方法です。 「ド」の周波数を基準に考えると、「ミ」は2の12分の4乗(≒1.2599)倍音、「ソ」は2の12分の7乗(≒1.4983)倍音、オクターブ上の「ド」は2の12分の12乗(=2)倍音になります。 比較してみましょう。 オクターブ上の「ド」は同じですが、「ソ」の音は若干、「ミ」の音はかなり違っていますね。
 弦楽器や管楽器から得られるハーモニクスは純正律的なインターバルを持っていますから、平均律的に扱うとずれて感じられます。 逆に、和音を奏でると、平均律が奏でるハーモニーは濁っているので、やはりずれて感じられます。 どこかの雑誌に坂本龍一さんが書かれていたと記憶していますが、ピアノでドミソを弾くと音波の干渉で複雑なうねりが生じる、その不安から解消されるために別の和音へ移行し、その連鎖からコード進行が生ずるのだ、というような興味深い考察もあります。 ギターのフレット、サックスのタンポ、ピアノの鍵盤など、多くの楽器はどんなキーにも対応できるように平均律を踏襲して設計されていますから、現代の我々はどちらかというと平均律に慣らされているかも知れません。 (ピアノの場合、正確には人間の聴覚の生理的特徴を考慮して、最低音域は若干低め、最高音域は若干高めにチューニングされるそうです)。
 ここで興味深いのは、小泉文夫先生の本か何かで読みましたが、西洋クラシック派(古典派、正統派)の音楽家には、日頃から平均律に接していますから、純正律音楽、例えばプリミティブな民族音楽などを聞くと不快に感じる方がいるそうです。 逆に西洋音楽があまり普及していない地域で平均律の音楽を聞いてもらっても、奇異に感じてしまう人がいるのだそうです。 音楽的感性というのは、自分が接している音楽的環境と少なからず関係を持っています。 このことは、聞くことの大切さを考える上で大きな要素の一つと言えましょう。
 さて、昨今のジャズ、ロック、ポップスなどの中には、ブルーノートを応用したものがあります。 ブルースは、アフリカ系アメリカ人が歌の伴奏にピアノ、ギター、ハープ(ハーモニカ)、フィドル(バイオリン)などを使って生み出した音楽ですが、平均律用に作られた楽器で民族音楽的な、言い換えれば純正律的なインターバルを堂々と奏でているという特徴があります。 例えば、ブルーノートの代表的な音の一つに“#9th”というインターバルがあります。 これは、「ド」をベースに考えれば(転回して)「レ#」即ち「ミb」ということになります。 「ド」〜「ミb」のインターバルは、楽譜の上ではマイナー3rd(短三度)ですから、悲しげな短調のイメージを想起させるものですが、ブルースの場合そうそう悲しげなものではないということはブルースに親しんだ方ならよくおわかりでしょう。 実は、このブルーノートは(平均律の)楽譜では表現できないもので、確かに「ミ」よりは低いのですが、「ミb」よりは高いのです。 純正律の「ミ」が平均律の「ミ」よりも低かったことを思い出してください。 実際の演奏においては、ギターやハープなどではベンディング(微妙に音程をずらすテクニック、チョーキング)を使って「ミb」から「ミ」に近づくインターバルの動きとして表現されますし、鍵盤楽器ではしばしば装飾音としての「ミb」から「ミ」へのスラーとして表現されます。 或いは、「ミ」(3rd)とオクターブ上のテンションとしての「ミb」(#9th)のハーモニーで表現されることもあります。 平均律楽器の世界でも、このブルーノートの例のように、プリミティブな音楽的要素は生き続けているのです。
 上記のような例を説明する上で、この講義では「ドレミ...」という階名表記を使いました。 楽典などでインターバルを扱う場合は、「ⅠⅡⅢ...」という数字を用いるのが一般的です。 敢えて階名を使用したのは、我々の多くが学校教育などを通じて階名の音感を身につけているので、直感的に分かりやすいだろうという配慮からです。 階名の音感を身につけているとすれば、インターバルを考えるときにはそれを使用することを勧めます。 よく音名(CDE...)と階名(ドレミ...)を混同していたり、敢えて音名に「ドレミ...」を使用している人がいますが、それは避けるべきです。 手っ取り早く初見読譜を身につける必要のある人や、平均律以外の音楽は考えたくないというメシアン(12半音階旋法で有名な現代音楽家)のような人には仕方がないかもしれませんが、本講義で紹介した純正律の潜在性を体得するには不都合な方法です。 音楽では、絶対音感よりも相対音感がより重要になってきます。 是非とも音名と階名の区別を行ってください。 これについてはソルファの勧めの講義の中でも触れることになるでしょう。

--- 11.Nov.1997 Naoki

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