電話のあちら


 通信機業界に勤める身分で言えた義理の話ではないのですが、発信者番号通知にもの申すのであります。 要するに電話がりんり・りんりと鳴っているとき、それが何処からかかってきたのかを知らせるサービスで、つい最近施行になり、若干のトラブルがあって物議を醸しておりますね。 従来の電話サービスは発信者優先、電話をかけた方がお金を払うのですから無理もないのかな、でも基本料金だって払っているわけだから、受ける側重視のサービスだってあって然るべきと思っていました。 発信者番号通知は、方式こそ異なりますが、北米などで何年も前からサービスされており、日本でもようやくと喜んでおりました。
 というのも、子供の頃の嫌な経験があるからです。 僕はいわゆる「鍵っ子」で、夕方は姉と二人で父母の帰りを待つのが日課でした。 大学に勤めていた母は、帰途につくとき、もしくは最寄り駅に到着すると、決まって自宅に電話を入れ幼い子供等の安否を確認するのでした。 今夜は何が食べたいか、何かお土産が欲しいかといったことを尋ね、リクエストがあればそれに応じた買い物をして帰ってくるのです。 ある日、まだ夕方まで間のある昼下がりであったように記憶していますが、黒電話がジリリンと鳴りました。 ちょっと早いけれど、母だと思って急いで受話器を上げました。 しかし、話しかけても相手は無言です。 間違い電話かなと受話器を下ろしましたが、すぐにまたかかってきました。 そして執拗な悪戯電話が始まったのです。 無言であったり、何かラジオのような機械音であったり、嫌がらせのネタを変えながら、次から次へとかけてきます。 本当に頭に来ました。 でも、もしお母さんからだったらと思うと、出ないわけには行かないのです。 出ないと、きっと心配をかけてしまうことになるからです。 姉と僕は、泣きたい気分で電話をとり続けました。途中から相手が喋り初め、いろいろな悪口を言うようになりました。 どうやら相手は、そう歳の離れていない子供のようで、一体誰だろうと詮索しましたが、学校や近所で思い当たる人物はいませんでした。 「卑怯者!出てこい!」、「よし、駅の反対側で待ってろ」といったやりとりの末、僕は完全に興奮して指定の場所へ走り、薄暮になるまで待っていましたが、とうとう本人は現れませんでした。
 電話は、ライフラインという側面を持っていると同時に、一種の心の拠り所であったりしますね。 思いの外大切な役割を担っていることがあります。 反面、かかってくる電話は半ば強制的な圧力を持っているのであって、時間に追われてバタバタしているときでも、全くお呼びでないセールストークを受けたりしなくてはなりません。 そういえば、他人の携帯電話が近くで鳴り始めたときイライラするのは、単に五月蠅いからだけではなく、その強制力の火の粉を被っているような気分がするからかもしれませんね。 また、留守番している子供、一人暮らしの老人、年頃の娘さんなど、プライバシーに関しても重大な影響力のあるメディアです。 つまり、資本原理とやらだけで扱うべき代物ではないのです。 資本原理だけで電話を扱うと、例のダイヤルQ2や発信テレマのようなものがまかり通ることになってしまいます。発信者番号通知は、悪戯電話の撲滅や識別着信の可能性という側面から見れば、諸手を挙げて歓迎すべきサービスでした。
 横浜、名古屋、福岡における一年間の試行期間で充分に吟味された後、郵政省に「問題なし」と報告されて始まったこのサービスは、しかしながら、ダイヤルQ2もしくはそれ以上の問題を孕んで立ち上がりました。 最も大きな問題は、通知の肯否の扱い方にありましょう。 常識的に考えれば、無条件に全ての電話について発信者番号が通知されるようにするか、さもなければ自分の番号を公表した者にのみ通知されるというのが筋であろうと思います。 つまり、電話の利用権と引き替えに、もしくは他人の番号の閲覧権と引き替えに自分の番号を公表することが義務付けられるというのなら話は分かるのです。 ところが、実際はひどいものでした。 先ず、「通話ごと非通知」とか「回線ごと非通知」などという(我々専門家にも)訳の分からない言葉を使ったこと自体も問題ですが、そんなことよりも(理解できなくて)手続きをしなかった利用者の番号を自動的に公表扱いにしてしまったのですから。 しかも、自分が他人の番号を知る権利を得るには、専用の機材を購入して、手続きをして、尚かつサービス料金を追徴されなければならないのです。 これは、道義性はおろか、憲法にさえ抵触しかねないやり方です。 呆れたことに、手続きをして追徴金は払ったものの、専用の機材を(理解できなくて)購入し設置していない利用者は、着信に応答しても電話が切れてしまうことがあるという不具合のおまけ付き。 ついでに言えば、関係の方からお聞きしましたが、NTT社内の電話の多くが、1998年4月初旬現在、「回線ごと非通知」即ち「通常非通知」即ち自分の番号を公表しないよう設定されているのだそうです。 番号が知れたら困るというお考えでしょうか。 もしこのエッセーを目にされたNTTの方がおられたら、どうぞご立腹なさらぬよう、そして抜本的且つ迅速な改善をお願いします。
 現代は、何でもかんでも経済原理で動いてしまう傾向があります。 これからは通信の時代でしょうから、電話、CTI、インターネットといった類は、なるほど有望なドル箱でしょう。 しかし、通信は、もっとデリケートな側面を持っています。 他のメディアと比較して電話というものが秀でている特徴の一つは、あちらにいるのが人であり、今であり、言葉とそして言葉を超えたニュアンスによってお互いを確かめ合うことができる点にあるでしょう。 そして、あちらにいる人は、肉親、知人、ライバル、或いは初めて言葉を交わす人であり、そしてどうやら自分と同様に今を生きている存在なわけです。 恋人に電話をかけ、お互いに話す言葉もなく、ただ延々と受話器を握っている、でもそれだけで幸せだった時代、嗚呼、そんなことが遠〜〜〜〜〜い昔にありました。

--- 9.Apr.1998 Naoki


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