勤め人
もう10年以上も勤め人をやっていると思います。
これを始める前は、ギターフリーターとでも言うべき日雇いでした。
就職の動機は、結婚であったと思います。
結婚パーティーに来て下さった当時音楽フリーターの先輩が、何故かその夜、酔っぱらって自宅で暴れ、蛍光灯を割り、ACコードを引きちぎって寝ていたと、片付けに行った後輩から聞いたことがあります。
後年その方とお会いしたとき、煙草を吸っておられたので、「禁煙されてたのでは」とお聞きすると、「あれ?知らなかったの。またヘビースモーカーに戻ったんだよ、あの日から」と笑っておられました。
先輩に変化をもたらしたのは、何だったんでしょう。
僕には知り得ない何かがあったからだろうと思います。
しかし通説としては、音楽で喰っていくという道を選んで、どんなに仕事がなくても、どんなにお先真っ暗でも、振り向けば橋本がいる、という心の支えが無くなったからだということになっております。
よく、昔のディズニーやワーナーなんかのアニメで、吊り橋が壊れて必死で対岸へ走るのだけれど、そのすぐ後ろから踏み板が落ちていくという図があります。
音楽フリーターには、そういう生活感がありました。
事務所付きになると、最低限の給料がもらえるようになり、歌謡曲の伴奏や編曲の仕事もコンスタントに斡旋してもらえるようになるようですが、言ってみればそれはサラリーマン+副業収入といった生活ですから、吊り橋が崩れ落ちる状態からはひとまず回避できます。
そうでない音楽フリーター達は、もっと神経が鋭利になっており、目つきが違います。
猿に芋を与えたときの表情を思い出して下さい。
我々が芋を食するときは、芋を見ます。
あるいはその美味しさを堪能して目を閉じるか、虚空をぼんやり眺めるか、
あるいは談笑するために友達の顔を見ています。
しかし、猿は、口に芋を運びながら、鋭い視線できょろきょろと辺りを警戒しますね。
これと同じ食べ方をする人間を知っています。
以前エッセイのネタにさせてもらいましたが、例のロック喫茶のマスター。
彼は、視線を辺りに走らせながらアンパンにかぶりつくのです。
そして三口ぐらいで食べてしまう。
そこまで行かないにせよ、フリーター連中には、談笑していても目が光っているといった共通の雰囲気がありました。
初めて会社というところに来て、こういうことを言うと誤解を招いてしまうかも知れませんが、最初に感じたことは、眼光の柔和なことです。
ギラギラしたものがない。
これ、職種によって違うのかも知れませんね、一昔前の証券マンなんかギラギラしていたかもしれない。
今年からは、証券取引所も自動化(パソコン化)されてしまいましたから、想像するに、おそらくあのギラギラ感というものは無くなってくるのではないでしょうか。
何故そうなるのか。
一つは、リアルタイム性のようなものではないかと思います。
おしなべて勤め人とギターフリーターの違いは、もちろん例外は多々あるとして、時間の観念です。
我が社はメーカーですから、納期というものがあり、それを目指して或る意味地獄のような産みの苦しみを展開して行くわけです。
しかし、あくまで本番は納期であり、それまでは若干のズレが許されます。
それから、代役が利きます。
もちろん代役の利かない場合もなきにしもあらずですが、風邪ひいて寝込んだとしても何とかなる。
同僚が代役を引き受けたり、上司がサポートしてくれたりします。
ところが、ギターフリーターはこれができない。
毎日が本番であるし、代役は利かない。
もっとも、仕事が来ればの話ですがね。
そういうことから察するに、学校〜会社という集団に庇護されて人生を送っている場合、ことによってはリアルタイム性を見失ってしまうかもしれません。
いつも自分は何かの一部であり、主たる最終判断は誰かが行うのであり、自分には代役がいるのであり、芋を食いながら目をトロンとさせることができるのです。
この芋の件については、やはりリラックスして食えた方がよかろうと思います
が、しかしながら自我、このかけがえのない未知の存在を全力で引き受けようという土壌が、勤め人の世界には希薄な気もします。
まぁ、こういう一般論めいたことは、大抵外れているのであり、単なる一個人の経験上の直感にしか過ぎません。
あまり気にしないでください。
実際は、シャーロック・ホームズがそう言うように、平凡なことの中にこそ重大で興味深い事件が隠されているでしょうから。
--- 22.Feb.1999 Naoki