こどもの強さ

 横浜市の青葉区に「こどもの国」という遊園地があります。 遊園地とはいえ、殆ど自然のままで、中には牧場、小さな動物園、プール、サイクリングコースなどがあり、注意してよく見ると太平洋戦争の頃の防空壕だか地下要塞だかの跡があったりします。 最近、民営化されたらしく、乗り物のような遊戯施設もちらほら増えたように思われますが、専ら木々や花々を楽しみに人々が集うといった広々とした自然の空間です。 この中には、宿泊施設もありますし、サッカー場も設けられていて、僕がコーチとして携わるようになった少年サッカークラブでは、子供達の春休みを利用した合宿をここで催すのが恒例となっています。

 少年サッカークラブといっても、ちゃんと組織だったものにはほど遠く、小学校の先生方や、有志のおっさん達、どなたも勤め人なのですが、そういった方々がコーチを買って出て、選手達の父母がそれを支えるというボランティア集団です。 コーチは、最近参加した最も若い人で30歳、平均年齢は40代後半といったところです。 どなたも日常忙しくされていますから、Eメールなどでその都度やりとりはあっても、打ち合わせる機会はどうしても不足がちで、今年の春合宿についても練習メニュー等を詰めきれないまま、残すところあと僅かとなったある日のことでした。

 何としてももう一度事前に集まるべきだという声が高まり、平日にもかかわらず、夜9時に、コーチ陣の半ば会議室と化している飲み屋に集合ということになったのです。 コーチは、どなたも非常に個性の強い方ばかりで、一人一人について紹介しているとそれだけで物語になってしまうほどですが、その中で一際非凡なおっさんにAコーチという最長老の部類に属する方がいます。 打合せを飲み屋でやろうなぞというふざけた、基、的を得た考え方は、このおっさんの提言によるものに他なりません。 この日は、合宿の練習メニューやタイムテーブルなどについて具体的な最終案をまとめることになっていましたが、僕が到着したのは夜の11時頃でした。

 開口一番「なんじゃあ、偉そうに、今頃来おって!」とAコーチが迎えてくれました。 打合せが始まって、かれこれ2時間たっていますから、結果を教えてくださいと申し出ると、Aコーチは紙面ぎっしりに書き込まれた数枚のメモを取り出しました。 議論された詳細な内容は、しかしながら、酔っぱらいが速記した難解な字体により殆ど解読不可能で、ただ2箇所だけぐるぐると丸で囲まれたところがありました。 「これや、コーチの任務は、この二つや!」。 断っておきますが、Aコーチは関西人ではありません。 神戸出身のコーチなんかが関西弁を使うので、このおっさんも意気昂揚すると、つられて関西弁になるのでありました。 丸で囲まれたメモにはこう書かれていました。

1.子供達に何を教えるか
2.子供達から何を教わるか

 僕は呆気にとられました。 2時間話し合ってそれかいってことも確かにありましたが、あまりに核心をついていてドキッとしたということもあります。 直接的な意図は、こういうことであろうと思いました。 今年の6年生が例年になく非常に強かったのですが、コーチ陣が何か特別に方針を換えたわけでもなく、いわば突然変異なので、彼等自身で獲得していった何かがあるわけで、それを逆にコーチが吸収して、コーチ自身も成長して、次世代の選手達にフィードバックしていく必要があるということです。 それと同様に、低学年達の個人や集団の振る舞いの中からも、普段見逃している何かを学び取る、そういう姿勢をコーチの任務として捉えなければならないということです。 しかしそれだけではなくて、このことはサッカークラブのみならず、会社や地域や家庭や、とにかくそういう人寄り処に普く存在している課題であり、コーチ対選手、親対子、夫対妻など、いろいろな人間関係に必要とされる、シンプルだが究極的なコミニュケーションの在り方であるということをAコーチは当然の如く織り込んでいて、「これや!これや!」と喚いていたに違いありません。

 さて、合宿当日となり、我が森のスタジオ号(自家用車)は完璧な機材車と化して「こどもの国」へと向かいました。 僕の担当は低学年で、表計算ソフトで昨夜ぎっしりと打ち出してきたタイムテーブルを横目に、朝から練習を進めていきました。 普段はどんどんボールに触らせるのですが、この日は基礎的な身体能力を高めるというテーマで、様々な動きというものを中心としたメニューです。 例えば、一人の先生コーチが片手でボールを掲げて立ち、それを見たまま前後左右に置かれたコーンを回るという練習をしました。 ボールを使わないので、子供達はすぐ飽きてしまうのではないかと思いきや、ボールを掲げた先生の恰好があまりに神々しかったせいか、「あれは自由の女神じゃなくて、自由のオヤジだ!」などと言い出す子が現れ、「自由のオヤジだ!」、「自由のオヤジを見るんだ!」と大変な盛り上がりようでした。 まあ、千差万別、良きにつけ悪しきにつけ各々随分と個性的な動きを披露してくれるのが面白く、休憩時間も忘れて練習してしまいました。

 50mのタイムトライアルをやったときなんかも笑えました。 二人ずつ走らせてタイムを計測するのですが、真っ直ぐ走れば良いものを、なんだか互いに近寄っていく傾向がある。 最後に、目下お互いを好敵手と自他共に認める二人のちびっこ選手が走りましたが、やっぱり近寄っていき、ついには肩と肩が当たり、終いには(これはサッカーでよくやるアクションなのですが)相手の前にカラダを入れようと手を出す始末。 これはもう「業」という感じでした。

 午後からは生憎雨天となってしまい、グランドはべちゃべちゃ、低学年は宿泊施設のホールで、ルールや戦術などについて、ちょっとした実技を交えて勉強しました。 一方、高学年の方は、皇太子記念館脇のサッカー場に移動し、6年生にとって公式戦の最終戦となった青葉区大会決勝のときの相手チームを迎えた親善試合に臨みました。 決勝戦のとき、主軸選手3名をインフルエンザで欠いて破れたのが心残りで「もう一度やりたい」と懇願してきた選手がいたため、監督コーチが相手チームに話をつけてくれたのです。 そういう「場を設ける」ということも、コーチの重要な任務の一つです。 6年生達は、雨中の決戦で、見事2対0完封の勝利を収めて帰ってきました。

 どろどろの選手達を風呂に入れ、夕飯を食べ、選手達の皿洗いを「コーチ」し、お世話になった新旧役員さん達と一献やり、頃合いの時刻に子供らを部屋に戻します(誰も寝ませんが)。 このあと、恒例となっている、6年生の「追い出し個人面談」が待っています。 コーチ陣が酒盛りをやっているところに6年生を一人ずつ呼び出し、個人的なアドバイスをしたりクラブ活動を振り返って感想を述べ合うといった主旨の儀式で、 子供達は例年これを結構楽しみにしているのです。 低学年を受け持っている僕としては、普段あまり直接的に接する機会の少ない6年生達から、この中でいろいろと話を聞くことが出来ました。

 リフティングを2000回近くできるという選手。 もはや個人技のレベルで現在この子を凌げるコーチはいないわけですが、この選手に、クラブにはもっとどういう練習が必要だと思うかを尋ねたところ、いつも試合の前に練習する(勝たせたいからね)けれど、試合のとき問題が分かるのだから、試合の後に練習した方がいいという答えが返ってきました。 彼の自信に満ちた発言は、我らコーチ陣の考え方よりも落ち着いて感じられました。

 とても優れた個人技を持っている選手。 この選手に、自分が10のテクニックを持っているとすれば、その内いくつをどうやって身につけたのか教えてくれと問いかけると、「10の内7か8は(クラブの)みんなと練習をしたり遊んだりしていて身についた」ということでした。 残りの2か3をコーチから教わったと答えるのかなと思いきや、「残りは自分一人で身につけた」と答えました。 おいおい、コーチの立場はどうなる! しかしこれは嬉しい答えでもあります。 そういう場を提供できたということも、クラブとしての成功に値することですから。

 最初はヘタで仲間はずれだったのに、黙々と自主トレ(個人練習)して頼れるエースに化けた選手。 彼はオトナ顔負けの強烈で正確なシュートを放つポイントゲッターの一人です。 特に彼の天才的とでも言うべきインステップキックは美しく、ボレーも的確だし、フリーキックのときもボールが自在に変化しながらゴールネットに突き刺さります。 僕は、彼が5年生の頃から黙々と壁当てをしていたということを聞いており、クラブの練習以外の時間に何をするか注意して見ていたことがあるのですが、遠くからボンボン蹴るのではなく、数メートルの近距離から壁に向かって小さなキックを繰り返していました。 無口な奴で、面談でも殆ど喋らなかったのですが、一人で練習するときどういう工夫をしたのかと訊くと、初めて積極的に語ってくれました。 どうやら、端的に言うと、専ら足をボールの何処に当てるかということを意識して練習していたらしい。 そういった練習方法をコーチが教えたわけではないので、本か何かで読んだのかと尋ねてみたところ、自分で工夫したのだということでした。 これだ!と思いました。 天才とは天性のものだと考えがちですが、自分で自分の練習方法を見出すということと深く関係しているようです。

 子供達が口を揃えて言っていたこと、それは、サイドコーチは必要ないということでした。 試合中にピッチ(フィールド)の外から出す指示、大抵大声で出すのですが、これをサイドコーチと言います。 ピッチの外からは、試合をしている当事者、つまり選手よりも全体がよく見えますから、彼等のヒントとなるような指示を出すわけです。 これが、うるさい、気が散るというわけです。 サッカーは、選手達がリアルタイムに状況を認識し、判断し、決断しながら進めるスポーツですから、例えそれが的確な指示であったとしても、試合の最中には殆ど不要な情報となります。 コーチにしてみれば、勝たせてやりたい一心で「教えて」いるつもりなのですが、余計なお世話というか、それが却って足枷になるというわけです。 自分達は、自分達で認識し、判断し、決断しながらゲームをしているのだから、どうか静かにしていてくださいというのが共通の意見でした。

 これらの他、酔っぱらいコーチ達に囲まれて勢い口数は少なくなりながらも、面白い話をいろいろ聞かせてくれました。 その中で最も印象に残ったこと、それは、数人の選手達が同じことを言ったので余計に印象づけられたことなのですが、彼等のコンビネーションプレイに関することでした。 コーチ達の間では、今年の6年生はアイコンタクトを使っているということがよく語られていました。 これは目合図というやつで、例えば前方の誰もいないところにパスを出すからそこへ走り込めとか、僕が敵を引きつけて中に切り込むから右サイドにオーバーラップしろ、といった複雑なコンビネーションを、言葉を使わずに一瞬の目合図で通信する方法です。 そんなことを具体的にコーチが指導したわけではありませんし、指導したからといってオイソレと出来ることでもありません。 こういったプレイに関して、事前に打ち合わせるのかといった質問をしてみたところ、打ち合わせたことはない、でもそういうときに彼ならこうしてくれると「信じているから」というのです。 何人もの選手が「信じているので」とか「信じて」といった言葉を平然と口にするので、僕は感動すら覚えました。 事実、次の日に行われた6年対2・3年、6年対4・5年、6年対ダディーズ&コーチオールスターズといった「追い出し戦」のゲームの中で、アイコンタクトすらないテレパシーコンタクトとでもいうべき絶妙のコンビネーションプレイを見ました。 信じ合えること、それが彼等の強さだったのです。

 6年生全員の面談を終えると、夜中の1時近くになっていました。 雨中試合に赴いていた高学年担当のコーチ達は、流石にお疲れと見えて、珍しく寝支度に入りました。 しかし、低学年を担当していたAコーチと僕は、まだ風呂にも入っていなかったので、「風呂に入ってさっぱりしてから寝よう」ということになりました。 大きな風呂場に二人だけというのは贅沢な感じでしたが、如何せん、子供らが入浴したのは4時頃でしたし、寒い夜でしたから、湯船の中は殆ど水のように冷めてしまっていました。 じゃんじゃんお湯を入れるのですが、水面から数センチより下は冷たいままで、酔っぱらい二人は漂流中のヒラメのようになって湯船に浮かんでおりました。

 「いやぁ、出会いというものを感じますねぇ」とAコーチが口を開きました。 「人と人というのは、こういうことですよ」、「そうですねぇ」。 Aコーチは、他のコーチの方々と一緒にバンドのライブに来てくれたことがあるので、バンドというものも同じだと僕は話しました。 Aコーチは、「ね、同じでしょう」と頷きながらこう言いました。 「人というのは、自分で築き上げたものを大事にしますよ。でもそれを一度壊して、波一つない水面のような心にならないと、人から何かを学ぶということはできない。つまり、成長が止まってしまうんですわ」。 微かな湯煙越しに聞いたAコーチのその言葉を頭の中でリフレインしながら、僕は暖まるまで湯船に漂っていました。

 次の日、雨は上がったものの、泥沼と化したサッカー場で、低学年は全員でキーパー練習。 続々と泥んこ紳士が誕生し、午後の「追い出し戦」に至っては、見たこともないような「泥試合」。 転倒者が出る度に、見に来ていたお母さん方から「あ〜!」という歓声とも悲鳴ともつかぬ声が上がり、スリルと興奮の実に楽しい試合でした。 6年生対低学年の試合は、もともと相手になりませんから、数人のコーチを加えた二十数人の低学年チームで戦いましたが、「(一人を)みんなで押し潰せー!」とか、「(ラグビーのような)モールで持ち込めー!」などととんでもないサイドコーチの声が飛び交い、ハーフタイムには「6年生は青葉区一かもしれないが、おまえらが失うものは何もない!どろんこの利を活かして思いっきりやってこい!」とかなんとかワケの分からん指示を受け、「オーッ!」ってな感じで出ていった完封負け寸前の低学年チームが終了間際に一矢報いるなど、これもサッカー、大いに童心に戻った二日間でした。


--- 31.Mar.1999 Naoki



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