霧の夜の森

 昨日は、函館から墨田のオフィスへ来ていた人の送別会。 結局、全員二次回、広いカラオケルームに雪崩れ込み、歌え歌え。 アルゼンチン人のエンジニアが、「ラバンバ」や「ボラーレ」を歌い踊る、 これがかっこいい、明らかにリズム感が違う。 大衆歌であろうに3連譜5連譜は当たり前。 普段マジメなエンジニアも金切り声で歌う。 最後はアニメの「ラスカル」とかいう不釣合いに可愛らしい歌に合わせて、 腕を組みくるくる回って踊ってクライマックス。 そのまま寮に帰って泥酔。

 この寮の一室は、一応みんなの非常宿泊所なのだけれども、 実質的には僕が占拠してしまっています。 というのは、もともとそういうケアもするという口約束で墨田に来たからです。 でも、本当は出た方がいい。 当初は新しい仕事に胸膨らませていた僕ですが、 いろいろイヤなものも見、つまらぬ思いもしてくると、 ここに松杉植える気持ちにはなれず、 一応最低限の結果を出しつつあると、ふと虚しくなる今日この頃です。 それに何より、自分の時間がなさ過ぎる。 僕の精神を救ってくれた少年サッカー然り、そして音楽も・・・

 ここが嫌いかっていうと、そうではないのです。 なるほど隅田川と荒川に囲まれたこの三角州の平坦さには馴染めませんが、 この街には素敵なものがちらほらある。 隅田川、会社、団地、商店街、東向島の駅という地理で、 駅の脇には東武鉄道博物館みたいなものがあります。 よく日曜日なんかに親子連れが来る、 奇しくも以前の職場の高津駅にもあった東急の鉄道博物館と同様。 中に入ったことはないですが、このまん前に憧れの「けごん」の実物が置かれている。 子供の頃、図鑑で一目惚れした特急電車です。 乗ったこともなければ、走っているのを見た記憶もないのですが、 当時人気を独占していた新幹線ひかり号にはない魅力を感じていました。 僕は、いつだったか酔って帰る道すがら、 この特急に挨拶をして、鼻ッ先を撫でて「おやすみ」を言った。

 そしてなによりこの街では、人の触れ合いができてきました。 人口密度の高い町中にあって、このペースには驚かされます。 例えば、商店街にはとても美味い中華屋があり、夜遅くまでやっている。 ここのおカミさんは北京出身で、いろいろと苦労を重ね、 今は向島に落ち着き笑顔で中華屋をやっています。 いまだに一生懸命日本語を勉強している。 板前さんは、川口や品川から通ってくる中国人。 悪友(?)のマダムは台湾人。 ここの上の息子は高校生で、ラグビーをやってるのかな、 夜遅くても店を手伝ったりしています。 帰り道、ツーと自転車が通りかかったかと思うと、 「ウィッス!」とか挨拶される。 電気屋のおカミさんも、スポーツ店のご主人も、 なぜかいつもこちらが気付かないのに 向こうから声を掛けてくれます。

 泥酔から醒め、うだうだと土曜日を棒に振った僕は、 めっきり日の短くなってきた秋の夕、 寮を後にして会社に向かいました。 一週間地下駐車場に停めておいた車に乗り込むためです。 暮れ馴染んだ週末の商店街はいつもより人出があり、 街灯や店舗がなんとも柔らかな光を投げています。

「どうも!」

と背後から声。 もしや自分かと振り返ると、そこには昼食時に毎日通っている ファミリーレストランのお姉さんが立っていました。 綺麗な顔と不釣合いな子供っぽい元気な声、透き通るような笑顔、 僕はそのお姉さん見たさ半分でそこへ通っているようなもの。 多分僕より背が高く、20代前半か、もしかしたら10代かもしれない。 いつも目にするのはスカートにエプロンのユニホーム姿ですが、 凛としたジーンズ姿は益々チャーミングです。

「いつもありがとうございます。」

いいえどういたしましてと鼻の下を伸ばしていると、 彼女の足元に小学校に上がるか上がらないくらいの坊やが 恥ずかしそうにまとわりついているのに気が付きました。 近所の子かな?従姉弟が遊びに来ているのかな? ジロジロ見ている僕に気付いてお姉さんはその子の頭に手を乗せ、

「これ、うちの子です。」

え?・・・あ・・そうなんだ、と、ちょっぴり驚いたのだけれど、 なんだかとっても暖かな気持ちになりました。 夕暮れの商店街の雑踏に、女学生のようなママと、 悪戯っぽいが甘えん坊の息子、 二人でこれからどこに出かけようとしていたのかは知らないけれど、 なにかとても大切なもの、暖かなものを感じました。 だから、人が営んでいるところっていうのは、どこだって素敵なんだ。

 首都高の6号から環状線、3号を抜け、東名高速に入ると鈴虫の声。 100キロで走る車にザーザーと聞こえてくるのだから大合唱です。 そしてまた、あのブルーの路側照明が見えてきます。 このブルーライトを見ると、ああ、帰ってきたんだなと感じます。 家に着くと、心なしか愚息の背はまた伸びていて、抜かれるのは時間の問題。 久々に家族で夕食のテーブルを囲み、ギターを持って蛍の森へ。 森には霧が立ち込めていました。


--- 29.Sep.2002 Naoki

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