浅草・一人暮し・W杯

 長い間エッセイをサボっていたのには訳があって、著しく多忙な毎日、いやいや、それは言い訳であって、要は精神的に多忙だったのです。

 今年の年頭、新しいプロジェクトに参加してから生活が一変しました。 先ず、ロケーションが変化しました。 墨田区勤務となり、バス・電車・電車・電車・バスという片道2時間余りの首都圏越え通勤。 今までの自家用車通勤とは一変。 3ヶ月はそれでも通っていました。 当初のうちは、道中、浅草に引っ掛かったりして帰ってきた。 「神谷バー」の「電気ブラン」や「東南(たつみ)屋」の「あんこう鍋」、「しぶや」の「焼き牡蠣」なんかに舌鼓を打って午前様という、厳しい中にも喜びを見出しつつの生活。 たいてい一人で飲みに行くんだけれども、「しぶや」など特に地元の人が多いらしく、会話を聞いているだけでも面白かった。

「年取ると病気の話ばっかりだよ」
「ハハハハ」
「でまた、くっわしいんだ、みんな」
「ハハハハ」

「××さんは、いっこ下だよ、たしか」
「67か」
「可愛い盛りじゃねぇか」
「ハハハハ」

「注文しても酒は遅いし、料理は遅いし」
「すみませんね、勘定取りに来るのだけ早くて」
「本当だ、生活がわかっちゃうねぇ」

「払って不仲になるよりも、今日も借り借り、明日も借り」
「ハハハハ」
「頭も懐も軽いからね、俺は」
「俺だって同じさ」
「正月や、今年も来るよ大晦日ってな」
「ハハハハ」
「めでたくもあり、めでたくもなしだ」
「ハハハハ」

なんてやってる。 なんだか落語の世界に迷い込んだような気分になります。

「大門(だいもん)っちゃ港区だよ」
「大門(おおもん)の方ですよ」
「大門(おおもん)っちゃ吉原だ」
「じゃ、今度お願いしますね」
「やだよぉ」

この「やだよぉ」の返しは東京漫才のノリです。 上方にはない。 浅草の寄席も観に行きましたが、ほんと面白いですね。 僕は関西出身で上方漫才ファンですが、東京の漫才も負けず劣らず面白い。 身近で、アイロニーたっぷりで、悲哀があり、素っ惚けている。 浅草の飲み屋に集う年配の男性達は、そういう世界の住人です。

「吉原っちゃ昔は憲兵がいてね」
「逃げ出さないようにね」
「そうそう」

なんてなオモムキブカイ話も聞こえてくる。 エッセイを書きそびれていた原因のもう一つはそれで、新たな発見や面白いことが多すぎた。 すると、それを整理するのにヨッコラショ、マタコンドとなってしまうわけです。

 そんなこんなでしたが、勤務が連日深夜に及ぶ上、休日返上となるケースもあり、別宅を設けることに。 東向島のアパートに棲み付き、週末など帰れるときは帰るというパターンが専らとなりました。 半ば単身赴任のような生活なのだけれど、何故かこれを気遣ったり哀れんだりする人はなく、皆口をそろえて「いいわねぇ〜」「うらやましいなぁ〜」と言います。 独身貴族という言葉があるけれど、確かに或る意味気楽なもので、大変なのは残された家族の方。

 どんなに夜遅くなっても、アパート暮らしは楽です。 しかし、人間、楽をすればするほど怠惰になるもので、最初のうち実家との往復は電車バスでしたが、やがて車を利用するように。 東名、3号線、C環、6号線というのは走り慣れたルートだし、なにしろ早い。 工事や事故渋滞さえなければ、3〜40分で走破できる。 夜中、東名〜首都高間のブルーの路側照明を突っ切りながら走るのも悪くありません。 当然駐車場代が掛かる、金がなくなる、けど、ちょっと帰ろうと思ったらいつでも帰れるというのも魅力。

 気楽な単身生活、ならばハッピーかというと、それはそれで寂しいもんです。 面白いもんで、独り言が出るようになったという自覚症状があります。 よく大きな声で独り言を叫んでいる孤独そうなオッサンがいるけれど、誰しもそうなる素養は持っているように思う。 あまり良い癖とは思えないので、意識的に自制していたら、最近は治ったように思います。

 もっともそれは、近所に顔見知りが増えてきたお蔭かもしれません。 口髭を生やした変な勤め人と映るせいか、何故かどなたもよく顔を覚えてくださる。 飲み屋やレストランなど、1回しか入ったことがない店の従業員まで覚えてくれている。 驚いたのは、或る日の電車の中、浴衣を着た女子高生の2人連れがニコニコと近寄ってきたとき。 何なんだコイツらは???と不安になっていると、「ほら、この前いらした飲み屋の娘ですよ」とのこと。 その日は浅草の三社祭だったらしく、浴衣姿なので余計に見間違ったんですね。 言われてみれば、なるほどそうでした。

 それから、職場の空気も仕事そのものも大きく変わりました。 十数年前、プータロウをやめて会社というものに入ったとき、それはそれはドヨンとした世界でした。 プータロウの世界、要するに音楽で食うや食わずという連中の世界は、遊んで暮らしているようにみえて、いや実際遊んで暮らしているのだけれども、弱肉強食でもありました。 それに、よく「コネ」という言葉が使われますが、人繋がり、人間関係というものが死活問題。 だからみんな、ほら、猿が柿を食すとき、あんな顔をしてました。 両手でしっかり柿を持ち、やっとありついたご馳走にがっつきながら、目はキョロキョロと周囲を監視している。 ところが、会社というところは、みんな眠そうな目をしていた。

 中途採用だったためか、出社して上司から最初に言われた言葉は「さぁ、どうしたもんかねぇ・・・」。 どうしたもんでしょと一緒に困ってました。 「困ったことがあったら何でも言ってください、何も出来ませんが・・・」と真顔で言われたときは笑っていいのかどうか迷いました。 ファミレスの店員から「レモンティーはレモンにしますかミルクにしますか」と問い返されたときに準ずるインパクトのある言葉でした。 年功による序列があり、与えられた仕事があり、お馴染みの社屋があり、ささやかな給料があった。 以来、年々責任は重くなるものの、基本的にはこれに似た環境でした。 取り敢えず言われたことを実直にこなしてさえいれば問題なかった。

 ところが、今回は新技術の塊のようなプロジェクトで、いや、新技術に取り組むという経験はあるのだけれども、今回は企業内ベンチャーのようなもので、やったことのないような仕事が次々と発生し、一人一人のセルフマネージメントとチームワークがないと生きて行けないような職場。 キツイのだけれども、しかし、却ってエンジニア達はイキイキとしている。 アイディア、アスピレーション、チャレンジ、コミュニケーション、リーダーシップ、ボランタリースピリット、そういったものが渦巻いていて、年齢、経験年数、学歴など塵ほどのものでもない。 不況で不安定でお先真っ暗なんだけれども、むしろ活気には満ちているのです。

 もう一つ変化があったとすれば、愚息が中学生になったこと。 サッカー少年団は卒団し、新たなサッカー環境に。 観に行きたいけれどなかなか行けないのが残念。 そうこうするうちW杯。 愚息は横浜国際競技場へ日本対ロシアを観戦に。 僕はチケットがなく、取り敢えず球場そばまで車で行ってみると、意外にも周辺道路はガラガラ。 けれど、パトカー、白バイ、警官達が大挙しているので乗り捨てられる雰囲気はなし。 踵(きびす)を返し、家のテレビで日本代表W杯初勝利を観戦。 歴史的な試合を現場で観戦した愚息はさぞ興奮しているだろうと思い、帰ってきた彼に尋ねると拍子抜け。 加藤あいさんなるアイドルを見つけて嬉しかったらしい。 友達と二人で追尾し、「握手してください」と迫るも両手にコーラ持ってて断られたとか。 なんじゃそりゃ・・・なっちょらん!誰に似たのか?

 てなことで、今日はリーグ突破賭けたチュニジア戦。 なんで平日の昼間にやるかなぁ・・・ どうしてもライブで観たいという若い衆達連れてその時間だけアパートへ。 TVアダプタ→PC→プロジェクタと繋いで大画面での観戦です。 結果は勝利、なんと予選リーグ首位突破、日本代表に拍手! ディフェンス行動に関して言えば格上の感。 もちろんオフェンス行動も見事。 森島は昨日のデルピエロのようでした。 市川は復調したフィーゴのようでした。 ナカタは実にナカタでした。 日本は強くなった。 トルシエ監督のこの期に及んでの少年サッカー式選手起用にも感服。 韓国もまたポルトガルを退けて予選突破。 かつての敵同士が、今アジアの仲間同士として戦っている。 仲間はライバル、ライバルは仲間、これぞサッカー! 今日(正確には昨日)は、日本サッカーの、強いては日本的価値観の革命日であるとともに、最も敬愛する先人、故・徒夫散人の誕生日でもあり、記念すべき良き日となりました。

職場の若い衆と日本の勝利を祝う。彼らもまたサッカー的なエンジニア達。


--- 14.Jun.2002 Naoki
--- 15.Jun.2002 Naoki

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