蘇れユニフォーム

 自分がガキンチョだったころの記憶を辿れば、まずガキ大将ってのがいました。 副ガキ大将的なガキンチョもいました。 遊んで欲しさに彼らに付いてハナをたらして走り回っていたように思います。 ガキ大将は、いじめっ子でしたが、怪我をしたりすると必ず気遣ってくれたし、よその子から守ってくれたりしました。 いいやつでした、でも怖かった。 この小さな縦社会には、いつも楽しさと緊張感が同居していたように思います。

 小学校に上がってしまうと、今度は水平社会です。 1年生のとき3年生とボクシングをやって泣かされた覚えはありますが、それ以降泣いた覚えがない。 上の子は下の子をいじめてはいけないことになっていましたし、遊び相手は専らクラスメイトでしたから、ガキ大将集団のようなものはできにくかったと思います。

 当時は体操日本全盛の頃でしたから、砂場などでよく宙返りの練習をしました。 上級生の真似をして自分もやってみる。 4年生の頃でしたね。 この頃はゴールデンエイジといって、即座の習得ができる特殊な運動神経発達期です。 僕は上級生を追い越して、一足先にバク転ができるようになりました。 運動神経は鈍い方でしたが、バク転ができるようになりたいという思いが他の子よりも強かったのだと思います。 考えてみれば、砂場での独学は首をいためる恐れもあり、少々無謀であったかもしれません。 大人も付いていませんでしたからね。 でも6年生の頃には5回くらい連続で回れるようになっており、運動会のときに満座の前で模範演技をやった、これをとても誇らしく思ったものです。 但し、独学には限界があり、またその場その場の興味以外目標もありませんから、さして上達もせず、そのまま体操とは縁が切れました。

 現在は、小学生のサッカーチームに関わっていますが、楽しい盛りの時期にスポーツを指導し機会を与えてくれる大人がいるということは羨ましいことです。 しかもサッカーは、真の意味でのチームスポーツですから尚更です。 真の意味とは、全体主義によるチームではなく、自己実現のためのチームという意味で、書き始めると長くなりますからここではその程度にしておきます。 少なくとも、ビデオゲームでゴールデンエイジを台無しにしたり、勉強部屋で社会性をスポイルしがちな現代にあって、少年サッカーが盛んになってきたのは喜ぶべきことだと思います。

 このクラブにコーチとして参加した頃、メンバー募集のポスター作りを担当しました。 創始者の方から「女子も歓迎と書いてください」と注文を戴いたので、僕はハイハイと喜んでそれを追記しました。 果たして、2名の女子が入部しました。 入部したはいいものの、やはり男子と違う扱いも必要だし、かといって差別するのもよくないし、想像以上に苦慮しました。 例えば、胸トラップ一つとったって、男子と同様に教えて良いのか悪いのかさえ分かりません。 いろいろな情報を集め、あれこれと工夫をしました。 一人は運動神経抜群、もう一人は負けん気抜群、二人とも公式戦などで活躍できるようになりました。 先輩コーチからは「高学年になったら付いていけないですよ」などとアドバイスを受けましたが、「だったらなんで募集したんですか?」と反発し、彼女達が5年生の間まではやってこられました。

 ところが、6年生に近づくに従って、そろそろ異性を意識し始める。 そうすると、もう女子にパスは回ってこなくなりました。 意地悪をしているわけではなく、どうしてもそうなってしまうのです。 二人のうちの一人がお休みの日など、残りの一人はとても寂しい思いをしていました。 彼女達のほかに3年生で一人だけ参加した女子は半年ほどでやめてしまいましたし、他のクラブにいたもの凄く能力の高い男勝りの4年生の女子も5年生でやめてしまった。 男女混合でサッカーがやりにくいのは、小学生期にあっては身体能力ではなく、精神的な要因が大きいようです。

 だから、たいていの女子はサッカーではなく、ミニバス(ミニバスケット)のクラブに参加していました。 こちらは女子ばかりで、けっこう強かった。 地域の小学校付きクラブの大会で、残り1秒のロングシュート逆転優勝という、五輪のソ連対米国のようなドラマチックな戦いもありました。 が、これが最終戦となりました。 メンバーが減ってしまい、コーチもいなくなって、廃部になってしまったのです。

 メンバーが減ってしまった背景には、確かに少子化の問題があるかもしれません。 けれど、子供がいなくなったわけではない。 ミニバスが潰れたことで、言ってみればアブレてしまった女の子が何人もいます。 一番の原因は、保護者達が子供達に関わっていられる時間と欲求が低下したことではないかと思っています。 特に地域クラブを支えてきたお母さんたちの中に、社会へ出て働く方が増えてきたことは少なからず影響しているでしょう。 そこへ持ってきて、当番制やくじ引きといったものに求めてきた平等性が、有志団体を破綻に追い込んでいったのではないかと邪推しています。

 そういう子供達に対する、なにか同情のような気持ちが先ずあった。 一方、少年サッカークラブを辞めた、いわゆる教え子の女子達の行き場が気がかりでした。 近隣の女子サッカーチームを勧めたりしましたが、本人達は乗り気ではありませんでした。 そこで、ミニバスの廃部を受けて、これをミニサッカークラブとして再建し、彼女達の行き場を作ってやれないだろうかと考えました。 すると、賛同してくれる方々が現れ、ミニゴールを購入することができました。 「壁などが傷むので体育館でボールを蹴ってはいけない」という学校側の決まりがあり、ボールを専用のビーチバレーボールにし、女子限定とすることでなんとか許可を取り付けました。 ボールはパキスタンから安価で取り寄せることができました。 かくして皆の協力が実を結び、新しいクラブ誕生に漕ぎ着けたのです。 新しいクラブは当番なし、会費もなし、薬は持参せよ、掃除はコーチと子供達自身でやる、必要なのは年数百円のスポーツ保険料とボール、レガース、ハイソックスだけ。 これでどうだ!

 如何せん、少年サッカークラブの方も変革期の渦中にあり、自ら責任ある役割を担うことになりました。 あれこれと手を出し過ぎて、無責任だという批判も戴いたし、ただでさえ家庭を顧みないところへそんなことを始めたものだから洒落にならない状態に。 なにも自分がやることはないだろう、だけど、それじゃあ誰がやるんだ? 誰もやらないじゃないか。 僕の行動は無責任かもしれないが、それならば何もしないほうが良かったのかというと、そうとは思えないのです。 確かに、自信はと問われると、なかったとしか言えない。

 ところが、追い風というのは吹くもので、現役の社会人サッカー選手や、元女子サッカーの選手、高校のサッカークラブの顧問の方など、この小学校とは全く無関係だった若い有志の方々が参加してくださり、新しいクラブはなんとか出帆することができました。 ミニバスの卒業生達も、遊ばせてくれとやってきます。 皆やっぱり楽しいんだな。 行く行くは、近隣の女子サッカーチームなどを招いての対抗戦を企画したい。 そうすればもっと楽しくなるからです。 いろいろと備品が入用になりそうですが、幸いミニバスのものを全て譲り受けました。 先日、体育館倉庫の隅に置かれたダンボール箱に、赤白の可愛いユニフォームが綺麗に畳んで仕舞ってあるのを見つけたときは、なんだか涙が出そうでした。

体育館に集った少女達とコーチ。真ん中は変なオジサン。


--- 16.Apr.2001 Naoki

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