誕生の記憶


 この話をするとみんなに笑われるのですが、僕は生まれた瞬間のことを覚えてるんです。 一瞬ぱっと明るくなったこと、激痛が走ったこと、産声をあげたこと。 そんなわけないじゃないかと思われるでしょうが、仕方ないですね、確かにこの件については証明する術がないですもんね。 しかし、生後間もなく脳膜炎で入院したときのことも覚えているんですが、それはいくらか裏付けができるんです。
 母親は、今もそうですが、大学に勤めていましたので付き添ってはおらず、僕はおそらく病院の木の柵のついたベッドに一人寝かされていました。 部屋は個室で、若い看護婦さんが一人いました。 彼女が僕の頬を指で突っついてあやすと、なんだかくすぐったいような嬉しいような気がして「ケッケ、ケッケ」と笑っておりました。 暫くすると誰かがやってきたらしく、彼女はドアの方に迎えに行きました。 僕は、入ってきた人の気配を感じながら、「ははぁ、どうもあの人が自分の母親のような存在なんだな」というようなことを考えました。 母親は黒地又は紺地に白っぽい細かい模様が疎らに入ったワンピースを着ていて、何やらお礼を言ってベッドの方へ歩いて来ました。 「こうすると笑うんですよ」と看護婦さんが例のほっぺた突きのことを話しましたところ、どれどれと母親がベッドの上から覗き込みました。 そして、最初看護婦さんが、次いで母親が僕のほっぺたを突っつきました。 僕は、もう笑い疲れていたんですが、「ここで笑ってあげないわけにはいかないな」という義務感を感じ、仕方なく「ケッケ」と笑ってあげたのを覚えています。 そうするうちに、なんだか愉快な気がしてきて、本当に「ケッケ、ケッケ」と笑ってしまいました。 そんなばかなと思うでしょうが、取り合えずその部屋の様子、母親の服装、そのときの状況などのディテールは間違っていないそうです。
 その後、やっぱりまだ生後数ヶ月の赤ん坊のころ、台風だか地震だかで家の壁が崩れ落ちるのを間一髪祖母か誰かに抱きかかえてもらって逃げる最中に見た記憶もあります。 が、それを最後に、多分2、3歳の幼児期になるまでの間は何も覚えてません。 幼児期になってからはまぁそれなりの子供らしい考え方をしていたように思うんですが、不思議なのは赤ん坊の頃になんだか妙に大人びた考え方を持っていたような気がしてならないことです。 だって、赤ん坊って最初のうちは、ろくろく自分の手足についてさえ認識できないんじゃないんでしょうか。 それが、「『若い看護婦』が『ドア』の方に行って母親を迎え入れ『こうすると笑うんですよ』と言った」なんて、どうして覚えてるんでしょう。 案外、人間には意識の遺伝というか、そういったものがあるのかも知れない。 或いは、ちょっと仏教的に考えれば、やっぱり輪廻転生みたいなものがあって、前生に成熟していた認識力の欠片みたいなものが影響しているのかも知れない。 まぁ、どれも証明できるものではありませんが...
--- 05.Feb.1997 Naoki
壁が倒れてきたのは、伊勢湾台風(昭和34年9月26日)によるものだそうです。
生後6ヶ月ということになります。やっぱり赤ん坊は結構認識してるんですね。
--- 14.Jul.2002 Naoki


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