クリニック


 僕は中学の頃、「クリーム」とか「ジミヘン」なんかのロックギターを聞いて育ちました。 そして専ら、好きな曲のコピーをしたり、気の向くままに弾きまくったりしてギターを練習しました。 クラシックギターの「カルカッシギター教本」というのを持ってましたが、そういうのはあまりちゃんとやらなかったです。 いわゆる独学というやつで、ギターの先生に師事したことはありません。
 が、一度だけ、渡辺香津美さんの公開ギタークリニックのようなものに出たことがあります。 十数年も昔の話ですがね。 確か渋谷の道玄坂のヤマハのホールを借り切って、ステージに香津美さんと5人の生徒が上がり、それを80人くらいの観客が見るという形式です。 僕は壇上の5匹の子羊の内の1匹というわけです。 ちょっとは他人の言うことも聞いてみるかってな軽い気持ちだったのですが、まさか満座の前にさらされることになろうとは...
 しかも計算外だったのは、そのころ香津美さんは“KYLYN”とか出してられた頃で、ロックみたいなフュージョンみたいな、まぁそういった類のギタークリニックであろうと考えていたんです。 ところが、ステージに上がってオヤと思ったのは、他の4匹はみんな太ったギター、つまりホローボディーのfホール付きのサンバースト模様のギターを持っている。 僕だけなんですね、真っ黒けの痩せた、しかもステッカーが貼ってあるようなギターを持ってきているのは... 「やばい、これはどうもジャズギター教室だ!」
 案の定でした。 80人の観客も殆どはジャズギタリストの卵達というわけです。 香津美さんは、壇上の子羊達と客席の卵達各々に対して色々な問いを発し、模範演奏を交えた解説でクリニックを進めていきます。 その中で分かってきたのは、もしこのエッセイを読んでおられる方がロック畑なら驚きを共有できると思いますが、ジャズギタリストの卵達は9割方ギター教室に通っているということ、ところが自分のバンドを持っている人は1割に満たないということです。 ロック畑の人は逆じゃないですか? ろくに習いにも行かないでバンドだけはやりたがるという...
 それから、ジャズ畑連中は、案外スケール(音階)練習というのをやらないみたいでした。 そりゃドレミくらいは弾くのでしょうが、クロマチックスケール(半音階)のような無機的な練習やハノンのような面倒臭い練習は好まないようで、むしろ一つ一つの曲をマスターしていくという練習形態が多いようでした。 香津美さんが壇上の一人一人に「どんなスケール練習をしますか?」と訊くのですが、皆「いえ、別に...」といった感じなのです。 そこで僕はギターを持って「こういうのとか、こういうのも練習しますねぇ」と、ロック畑の優位性を訴えたわけです。 「他には何かありますか?」と訊かれたので、もう得意になって「そうですねぇ、ホールトーンスケール(全音階)なんかもやったりしますねぇ。」
 クリニックの前半はそんな感じで良かったのですが、「10分間の休憩の後、生徒さん一人一人と私(香津美さん)でスタンダードナンバーを演奏してみましょう」ってことになった。 うわぁ、聞いてないよ〜! スタンダードって何? 「酒と薔薇の日々」とか「サニーサイドオブ○△×◎」とかああいうやつ? どうやらジャズ畑にはスタンダードナンバーという共通言語があるらしいのです。 そんなこと言われても知らないものは知らないので、休憩時間にこっそり香津美さんに泣きついたら、「いいんだよ何だって、Aでブルースでもやりましょう」...心得てらっしゃる。
 後半が始まると、他の子羊達は太っちょギターと、卑怯にもエフェクタ(電気的に音を加工する装置)なんかをつないで平然と座っています。 演奏が始まると、スケール練習もろくにやっていない子羊が、なかなかそつなく流暢に「ジャズ」みたいな曲を演奏するではありませんか。 なんてこった。 そうこうするうち、やがて自分の番が回ってきました。 こうなりゃロック畑代表の沽券にかけて一発ゴツイのをお見舞いしようと、アンプを歪ませ気味にセッティングして、やせぎすのストラトキャスターに渇を入れました。 しかし、香津美さんとサシのセッションである上、前半に満座の前で偉そうなことを言った手前、ガッチガチに緊張して何を弾いてるのかわけのわからんことになってしまいました。 ジャズ卵達からの「なんだありゃ」という視線をヒシヒシと感じて、セッションは途方もなく長く感じられました。 そして、やっと香津美さんがリタルダンド(テンポを徐々に遅らせること)をしてくれて、炎天下で鍋焼きを食べたような汗をかきながらケーデンス(終止形)を迎えることが出来ました。 客席からは疎らな拍手に混じって、何やらジャズ卵達のコソコソヒソヒソという内緒話とも嘲笑ともつかぬ声がさざ波のように聞こえていました。 そのとき、香津美さんが一言こうノタマったのです。 「どこでホールトーンを使ったんですか?」 「え?...いや...その...特には...」
 「ワッワッワーッ!!」と場内は爆笑の海に。 さすがの僕も返す言葉がなくて、ただ苦笑いするばかりでした。 このとき程打ちひしがれた気分というのはなかったですね。 クリニックが終わって片付けをしているときも、三々五々帰路につくジャズ卵共が、口を覆ったり指をさしたりしながら、この場違いな醜い家鴨の子を話題にしているのがよく分かりました。 ただただ僕は、顔を見られないように、うつむいたままシールド線を巻き取ったりしていました。
 そのとき、客席の方から、誰かが一人こっちへやって来るのを感じました。 勇敢な卵が1個、近距離攻撃を思いついたのでしょうか。 顔を上げると、眼鏡を掛けたジーパン姿の、あまり都会的とは言えない風体の青年が一人立っていました。 青年は緊張した面もちでしたが、微かに笑みを浮かべていました。 「なんでしょう?」と僕が聞くと、彼は関西弁で答えました。 「ブルース、よろしおまんなぁ...」 僕は目頭が熱くなる思いでした。 今日僕が在るのは君のお陰だよ、青年!
--- 10.Feb.1997 Naoki

上記のギター・クリニックがいつのことだったのか定かではないが、おそらく1983〜4年のことであったのではないかと推測できる。 数ヶ月後、その記事が載ったPlayer誌を発見して後生大事にとっておいたが、さすがに邪魔になるので、引っ越しを機に廃棄した。 ところが、そのページだけ嫁が捨てずにおいたらしく、30余年後になってクシャクシャながら出て来たのだ。記念として掲載しておく。
--- 12.Aug.2016 Naoki


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